導入
みなさんこんばんは、かいです。
聞いてくれているみなさんの時間を今、分けてくださっていることに心から感謝します。
ありがとうございます。
前回お伝えしきれなかった大切なことについてお話しします。
何度かお伝えしていますように、『イスラエルの集合』という神の業が意味するのは、決して特定の民族や国民を対象としたものではありません。
神の業はそのような瑣末なものではありえません。
オリーブの木の喩え
聖書にはその名が記されていない預言者の言葉が、モルモン書には載せられています。
その預言者の言葉を紹介します。
『見よ、わたしの同胞よ、あなたがたは、預言者ゼノスがイスラエルの家に語った彼の言葉を読んだのを覚えていないか。その言葉は次のとおりである。
「聴きなさい、おお、あなたがたイスラエルの家よ。主の預言者であるわたしの言葉を聞きなさい。
見よ、主はこう言われる。『おお、イスラエルの家よ、わたしはあなたを、人が自分の果樹園に植えて養いを与えた、一本の栽培されたオリーブの木にたとえよう。その木は成長し、やがて老い、朽ち始めた。
そして、果樹園の主人がやって来て、オリーブの木が朽ち始めたのを見て言った。「この木を刈り込み、木の周りを掘り、養いを与えよう。そうすれば、おそらくこの木は柔らかい若枝を出し、枯れないであろう。」
さて、主人はその言葉のとおりにその木を刈り込み、木の周りを掘って養いを与えた。
そして、多くの日の後に、その木は柔らかい若枝を出し始めた。ところが見よ、その木の中心の先の方が枯れ始めた。
そこで、果樹園の主人はそれを見て僕に言った。「この木を失うのは悲しい。だから、やせいのオリーブの木から何本か枝を切り取って、わたしのところに持って来なさい。わたしたちは枯れ始めた大枝を切り落とし、それらを火の中に投げ込んで燃やしてしまおう。」
また見よ、果樹園の主人は言った。「わたしはこの木の柔らかい若枝をたくさん取って、わたしが良いと思う所で接ぎ木をしよう。この木の根が枯れても、わたしのためにこの木の実を保存できればよい。だから、これらの柔らかい若枝を取って、わたしが良いと思う所で接ぎ木をしよう。
あなたは野生のオリーブの木の枝を何本か取って、枯れた枝の代わりにそれらの枝を接ぎなさい。わたしは切り落としたこれらの枝を、果樹園の土地をふさがないように 、火の中に投げ込んで燃やしてしまおう。」
そこで、僕は果樹園の主人の言葉のとおりにし、野生のオリーブの木を接いだ。
また、果樹園の主人はその木の周りを掘らせ、木を刈り込ませ、養いを与えて言った。「この木を失うのは悲しい。それで、根を枯らさずに残しておくことができると思い、また、わたし自身のために残しておくことができると思ってこうしたのである。
さあ、仕事にかかり、わたしの言葉のとおりに木を見守り、養いを与えなさい。
わたしはこれらの若枝を、果樹園のいちばん低い場所で、わたしが良いと思う所に置こう。それがどこか、あなたは知らなくてよい。こうするのは、わたし自身のためにこの木の自然の枝を残し、また実のとれない時節に備えてわたし自身のために身を蓄えられるようにするためである。この木と実の両方を失うのは悲しいことだからである。」
そして、果樹園の主人は仕事にかかり、栽培したオリーブの木の自然の枝を、果樹園のいちばん低い場所で、自分の意のまま、思いのままに、ある枝はあちらに、ある枝はこちらにと隠した。
さて、久しく時がたって、果樹園の主人は僕に、「さあ、一緒に果樹園に行って働こう」と言った。
そして、果樹園の主人と僕は、働くために果樹園に行った。そのとき、僕は主人に、「ご覧ください。ここです。この木をご覧ください」と言った。
そこで、果樹園の主人がそちらを向いて、野生のオリーブの枝を接いだ木を見ると、その木はすでに枝を伸ばし、実を結び始めていた。見ると、それは良く、その実は自然の実のようであった。
主人は僕に言った。「見よ、野生の木の枝はこの木の根から養分を吸い上げ、根は十分な力を与えている。そして、根は十分な力を与えている。そして、根に十分な力があるので、野生の枝は、栽培した木が結ぶような実を結んだ。これらの枝を接がなかったならば、この木は枯れていたであろう。さあ、この木が結んだたくさんの実を蓄えよう。実のとれない時節に備えて、わたし自身のためにこの木の実を蓄える事にしよう。」
そして、果樹園の主人は僕に言った。「さあ、いっしょに果樹園のいちばん低い場所へ行き、その木の自然の枝もたくさん実を結んでいるかどうか見よう。実を結んでいれば、実のとれない時節に備えて、わたし自身のためにその実を蓄えることができる。」
そして二人は、前に主人がその木の自然の枝を隠したところへ行った。そして、主人は僕に、「これらの枝を見なさい」と言った。僕が最初の枝を見ると、それはたくさんの実を結んでいた。僕にはそれが良いものであることが分かった。また、主人は僕に言った。「この実をとり入れ、わたし自身のために保存できるように、実のとれない時節に備えてこれを蓄えなさい。見よ、わたしがこれまで長い間養いを与えてきたので、これはたくさんの実を結んだ。」
そこで僕は主人に言った。「この木を、いや、木のこの枝を植えるために、どうしてここにおいでになったのですか。まことに、ここはあなたの果樹園のすべての土地の中でいちばんやせた土地です。」
果樹園の主人は僕に言った。「わたしに助言は要らない。わたしはここがやせ地であることを知っていた。わたしが前にあなたに言ったように、わたしはこれまで長い間これに養いを与えてきた。それであなたの見るとおり、これはたくさんの実を結んだのである。」
さて、果樹園の主人は僕に言った。「こちらを見なさい。わたしはもう一本、木の枝を植えておいた。あなたの知っているように、この土地は最初の土地よりもやせていた。しかし、この木を見なさい。わたしはこれまで長い間これに養いを与えてきたので、これはたくさんの実を結んだ。だから、実を集め、わたし自身のために保存できるように、実のとれない時節に備えてそれを蓄えなさい。」
そして、果樹園の主人は再び僕に言った。「こちらも見なさい。わたしが前に植えたもう一本の枝を見なさい。これにも養いを与えてきたので、実を結んだ。」
また、主人は僕に言った。「こちらを向いて、最後の枝を見なさい。見よ、わたしはこれをよい土地に飢え、これまで長い間養いを与えてきたが、この木は一部分だけが、栽培した木が結ぶような実を結び、ほかの部分は野生の実を結んだ。見よ、わたしは、この木にもほかの木と同じように養いを与えてきた。」
そして、果樹園の主人は僕に言った。「良い実を結ばなかった枝は切り落として、火の中に投げ込みなさい。」
しかし見よ、僕は主人に言った。「木を刈り込み、木の周りを掘って、もうしばらく養いを与えましょう。そうすれば、恐らくこの木はあなたのために良い実を結び、実のとれない時節に備えて実を蓄えられることでしょう。」
そして、果樹園の主人と僕は、果樹園のすべての実に養いを与えた。
さて、久しく時がたって、果樹園の主人は僕に言った。「さあ、一緒に果樹園に行って、また果樹園で働こう。見よ、時が近づいており、終わりはすぐに来る。だから実のとれない時節に備えて、わたし自身のために実を蓄えなければならない。」
そして、果樹園の主人と僕は果樹園へ行き、自然の枝を降り取って野生の枝を接いだ木の所へ行ってみた。すると見よ、いろいろな種類の実を木いっぱいに結んでいた。
そこで、果樹園の主人は、その実を種類ごとにすべて味見して言った。「見よ、わたしたちは、これまで長い間この木に養いを与え、実のとれない時節に備えてわたし自身のためにたくさんの実を蓄えてきた。
ところが見よ、この度はたくさんの実を結んだけれども、一つとして良い実はない。見よ、あるのはすべて悪い種類の実であり、わたしたちのあらゆる骨折りにもかかわらず、まったくわたしの利益にならない。しかし、この木を失うのは悲しい。」
そして、果樹園の主人は僕に、「もう一度わたし自身のためにこの木の良い実を保存できるようにするには、どうすればよいだろうか」と言った。
すると僕は、主人に行った。「誠にあなたが野生のオリーブの木の枝を接がれたので、枝が根を養い、根は今も枯れずに生きています。ですから御覧のとおり、根はまだ大丈夫です。」
そこで、果樹園の主人は僕に言った。「この木が悪い実を結ぶかぎり、これはわたしに取って何の利益にもならないし、またこの根も何の役にも立たない。
それでもわたしは、この根がよいことを知っており、わたし自身のためにこれを残してきた。この根は十分な力があったので、これまで野生の枝に良い実を結ばせてきた。
ところが見よ、野生の枝が生長して根を負かしてしまった。野生の枝が根を負かしてしまったために、この木は悪い実をたくさん結んだ。そして、この木は悪い実をたくさん結んだために、あなたの見るとおり枯れ始めている。だから、わたしたちがこれを残すために何かしなければ、これはすぐだめになってしまい、火の中に投げ込まれることになる。」
さて、果樹園の主人は僕に言った。「さあ、果樹園のいちばん低い場所へ行き、元の自然の枝も悪い実を結んでいないかどうか、見ることにしよう。」
そして、二人が果樹園のいちばん低い場所へ行ってみると、元の自然の枝の実も悪くなっていた。まことに、最初の枝も、第二の枝も、また最後の枝も、実がすべて悪くなっていた。
また、最後の枝の野生の実は、木の良い実を結んだ部分を負かしてしまい、枝は弱り果てて枯れていた。
そこで、果樹園の主人は涙を流し、僕に言った。「わたしの果樹園のために、これ以上何ができたであろうか。
見よ、果樹園の実が、これらのものを除いてすべて悪くなっていたことは分かっていた。ところが、かつて良い実を結んでいたこれらの枝も悪くなっている。わたしの果樹園の木はどれもこれも役に立たないので、切り倒して火の中に投げ込むしかない。
見よ、もう枝が枯れてしまったこの最後の木は、わたしが良い土地に飢えたものである。まことに、ここはわたしの果樹園の中で、ほかのあらゆる土地に勝ったえり抜きの土地であった。
しかも、あなたの見たとおり、わたしは、この土地をふさいでいたものを切り払って、その代わりにこの木を植えた。
また、あなたの見たとおり、この木の一部分は良い実を結び、また一部分は野生の実を結んだ。しかし、わたしが野生の実を結んだ枝を切り落として火の中に投げ込まなかったので、見よ、その枝は良い枝を負かして枯らしてしまった。
さて見よ、わたしたちが果樹園でできるだけの世話をしたにもかかわらず、果樹園の木はだめになってしまい、少しも良い実を結ばない。わたしはこれらの木を残しておいて、実のとれない時節に備えて、わたし自身のために実を蓄えようとしてきた。ところが、これらの木は野生のオリーブの木のようになってしまった。これらの木はもう何の価値もないので、切り倒して火の中に投げ込んでしまうしかない。これらの木を失うのは、わたしには悲しいことである。
しかしわたしは、果樹園でこれ以上何ができたであろうか。わたしは怠けて養いを与えなかったであろうか。いや、わたしは養いを与えてきた。果樹園を掘り起こし、刈り込み、肥料もやった。ほとんど一日中、手を差し伸べてきた。しかし、終わりが近づいている。果樹園の木を全て切り倒し、火の中に投げ込んで燃やしてしまわなければならないのは、わたしには悲しいことである。わたしの果樹園をだめにしたのは何者であろうか。」
そこで、僕は主人に言った。「それは果樹園の木が高くそびえているからではありませんか。そのために、木の枝が良い根を負かしたのではありませんか。枝が根を負かしたために、枝が根の力以上に生長し、勢力を奪ったのです。まことに、果樹園の木がだめになった原因はこれであると、わたしは申し上げます。」
そこで、果樹園の主人は僕に言った。「行って果樹園の木を切り倒し、火の中に投げ込み、それらの木が果樹園の土地をふさがないようにしよう。わたしは手を尽くしてきた。果樹園のためにこれ以上何ができたであろうか。」
しかし見よ、僕は果樹園の主人に、「もうしばらくお待ちください」と言った。
すると主人は言った。「よろしい。果樹園の木を失うのは悲しいので、もうしばらく待つことにしよう。
そして、私が果樹園のいちばん低い場所に植えておいたこれらの木の枝を取り、親木に接ぎ返そう。いちばん渋い実のなる枝を何本か親木から切り落とし、代わりに親木の元の自然の枝を接ぐことにしよう。
わたしがこうするのは、親木を枯らさないためである。こうすれば、わたし自身のためにその根を残せるかもしれない。
また見よ、わたしが良いと思う所に植えた親木の自然の枝の根は、まだ生きている。これらの根もわたし自身のために残せるように、この親木の枝を取って、これらの根に接ごう。まことに、これらの根にその親木の枝を接げば、わたし自身のためにそれらの根も残すことができ、根が十分に強くなると恐らくわたしのために良い実を結べるようになる。そうすれば、わたしは果樹園の実によって、まだ栄えを得ることができる。」
そして二人は、すでに野生のようになった自然の親木から枝を取り、これまたすでに野生のようになった自然の木にそれらを接いだ。
また二人は、すでに野生のようになった自然の木の枝を取り、それらを親木に接いだ。
果樹園の主人は僕に行った。「いちばん渋い実を結ぶ枝のほかは、野生の枝を木から切り落としてはならない。また、切り落とした木には、私が言ったように接ぎ木をしなさい。
わたしたちは、もう一度果樹園の木に養いを与えよう。そして、枝を刈り込もう。また、もう実を結ばず、枯れることが分かっている枝は、木から切り落として、火の中に投げ込んでしまおう。
わたしがこうするのは、根がまだ良いので、枝を取り換えることで根がまた強くなり、良い枝が悪い枝を負かしてしまうのではないかと思うからである。
わたしは元の自然の枝と根を残し、また自然の枝をもう一度親木に接ぎ返して親木の根も残したので、私の果樹園の木はおそらくまた良い実を結ぶであろう。そして、わたしは果樹園の実によって再び喜びを得られるであろう。また恐らく、最初の実を結んだ根と枝を残したことを非常に喜びに感じるであろう。
だから、行って僕たちを呼び集めなさい。わたしたちは果樹園で力を尽くして熱心に働き、もう一度自然の実を結ばせる準備をしよう。自然の実は良い実であり、他のどんな実よりも価値のあるものである。
だから、行って、この最後の時に当たって、わたしたちの力を尽くして働こう。終わりは近づいている。これはわたしが果樹園で刈り込みをする最後の時である。
枝を接ぎなさい。最後の枝が最初となり、最初の枝が最後となるように、最後の枝から始めなさい。そして、古い木も新しい木も、最初の木も最後の木も、その周りを掘って、最後の木から最初の木までのすべてが、最後にもう一度養いを与えられるようにしなさい。
終わりが近づいているので、最後にもう一度木の周りを掘り、刈り込み、肥料をやりなさい。そして、これらの最後の接ぎ穂が生長して自然の実を結ぶようであれば、生長できるように必要な準備をしなさい。
そして、接ぎ穂が生長し始めたら、良い枝の力とその大きさに応じて、渋い実を結ぶ枝を取り除きなさい。しかし、悪い枝を一度に全て取り除いてはならない。そのようなことをすれば、接ぎ穂に対して根の方が強くなりすぎて、接ぎ穂が枯れてしまい、果樹園の木を失ってしまうことになる。
果樹園の木を失うのは悲しいことである。だからあなた方は、根とこずえの力の釣り合いを取りながら、良い枝が生長するに応じて悪い枝を取り除き、良い枝が悪い枝を負かすようにしなさい。それから、悪い枝を切り取って火の中に投げ込み、悪いものが果樹園の土地をふさがないようにしなさい。このようにして、私は自分の果樹園から悪いものを一掃してしまおう。
私は、元の自然の木の枝を、もう一度自然の親木に接ぎ返そう。
また、自然の親木の枝を、親木の自然の枝に接ごう。こうしてわたしは、再びそれらのものを組み合わせて、それらの木が自然の実を結び、一つとなるようにしよう。
そして、悪いものをわたしの果樹園の全体から捨て去る。そのために、見よ、わたしはもう一度だけ、わたしの果樹園の刈り込みをしよう。」
そして、果樹園の主人は僕を遣わした。それで僕は行って、主人から命じられたとおりにし、他の僕たちを連れてきた。その数は少なかった。
それで果樹園の主人は僕たちに言った。「行って、果樹園で力を尽くして働きなさい。これが、わたしが果樹園に養いを与える最後の時である。終わりはすでに近く、時節はもうすぐに来る。しかし、あなたがたがわたしと一緒に力を尽くして働くならば、わたしがもうすぐやってくる時節に備えてわたし自身のために実を蓄える、その実によってあなたがたは喜びを得るであろう。」
そこで、僕たちは行って、力を尽くして働いた。果樹園の主人も彼らと一緒に働いた。僕たちは何事も全て果樹園の主人の命令に従った。
すると、自然の実がまた果樹園で結び始め、自然の枝も生長してよく生い茂り始めた。それで、野生の枝を切り落とし、捨て始めた。僕たちは、木の根とこずえの力に応じて、それらの釣り合いを保つようにした。
こうして、僕たちは果樹園の主人の命じたとおりに、力の限り働き、とうとう悪い枝を果樹園から捨ててしまった。そして、主人は自分自身のために木を保存し、これらの木は再び自然の実を結んだ。また、これらの木は一つの体のようになり、実はすべて同じであった。こうして、果樹園の主人は、初めから自分にとって最も価値があると考えていた自然の実を、自分自身のために保存できたのである。
そして果樹園の主人は、その実が良く、また自分の果樹園がもはや悪い状態にないことを知ると、僕たちを呼び集めて、彼らに言った。「この最後の時に、わたしたちは果樹園に養いを与えてきた。あなたがたの見るとおり、わたしは自分の望むままに行い、自然の実を保存した。その実は最初の時と同じように良い実である。あなたがたは幸いである。あなたがたは、わたしの果樹園でわたしと一緒に熱心に働き、わたしの命じたことを守り、わたしのために再び自然の実が得られるようにしてくれたからである。わたしの果樹園はもはや悪くない。悪いのは捨ててしまった。だから、あなた方は私の果樹園の実ことで、私と一緒に喜びを得るであろう。
さて見よ、わたしはしばらくの間、もうすぐやって来る実の取れない時節に備えて、わたし自身のために果樹園の実を蓄えよう。わたしはこれを最後として、果樹園に養いを与えてきた。刈り込み、周りを掘り、肥料をやってきた。わたしはすでに言ったようにしばらくの間自分自身のために実を蓄えることにしよう。
そして、将来再びわたしの果樹園に悪い実が生じる時が来れば、わたしはその時に良い実と悪い実を集めさせ、良い実は私自身のために保存し、悪い実はそれ相応の場所に捨ててしまおう。その後、身を結ばない時節、すなわち終わりが来る。そうすれば、私は自分の果樹園を火で焼かせよう。」』」
(『ヤコブ書』第5章1節〜77節)
ここで喩えられている栽培されたオリーブの木はイスラエルを、野生のオリーブの木は異邦人を現しています。
この預言の中でイスラエルの散乱と集合が示されており、最終的に異邦人はイスラエルに接がれます。
この『異邦人はイスラエルに接がれる』という部分が前回お話しした『アブラハムの聖約』です。
ちなみにこれは主の命によってエルサレムを出たリーハイの息子の一人である、ヤコブによって民に語られた言葉です。
もとの預言をしたゼノスという預言者がいつ頃生きていたのかは不明ですが、リーハイたちは紀元前約600年にエルサレムを出発したので、それ以前の人物であることは間違いありません。
さいごに
今回は預言をそのまま引用したので長くなってしまいましたが、イスラエルの集合という業を進めようと働く方々にとっては非常に大切な預言の一つです。
もう一度言いますが、神はどの民族だから助けるとか、どの国民だから助けないとかいった矮小な考えを持っていません。
ゼノスの預言の中でもはっきりと語られているように、火に投げ込まれて焼かれるのは『悪い実』と喩えられている人々です。
これは、例えば犯罪を一度でも犯したことがある人々ということではありません。
罪を犯した人でも福音を知り、心から悔い改めることで赦されます。
そもそもイエスが地上に来られたのは『罪人を招くため』です。
ひとりでも多くの人が神の存在を知り、認めて受け入れ、さらに福音の意義を知ることで自分自身の存在意義をも知ることになります。
時節はもうすぐに来ます。
今回はここまでにしましょう。
聞いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
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