導入
みなさんこんばんは、かいです!
聴いてくださっているみなさんに感謝します。
ありがとうございます。
今回は偶像礼拝についてお話しします。
この言葉を良い意味をもって捉えないのは、おそらくクリスチャンの方の特徴のひとつではないでしょうか。
ですが、わたしが知っている限りで言えば、わたしの所属する末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であっても『偶像』というものを正しく理解しておられない方はいらっしゃるようです。
また、わたしの知る方が所属するキリスト教系の団体では、偶像について明らかに誤った形で受け入れ、理解しています。
偶像礼拝とはどのようなことを言うのか、また偶像とはどのようなものを指すのか、今回も聖典や教会の出版物を参照し、少しでも聴いてくださっているみなさんの理解の助けとなれば幸いです。
また今回のお話の中にわたしの個人的な考えや推察が含まれていますが、これらは末日聖徒イエス・キリスト教会の公式な解釈、発表ではありません。
祈りのススメ
この記事内にはわたしたちが所属する末日聖徒イエス・キリスト教会の聖典である新約、旧約の聖書とモルモン書、教義と聖約、高価な真珠の中から聖句を引用しています。
また総大会と呼ばれる教会指導者たちの勧告などのお話からも引用する場合があります。
クリスチャンである方もそうでない方も、聖句を読むとき、以下のことに注意を払っていただけましたら幸いです。
『見よ、わたしはあなたがたに勧めたい。あなたがたにとってこの記録を読むことが、神の知恵にかなうようであれば、あなたがたはこれを読むときに、アダムが造られてからあなたがたがこれを受けるときまで、主が人の子らにどれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし、それを心の中で深く考えてほしい。
また、この記録を受ける時、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。
そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。』
(『モロナイ書』第10章3節〜5節)
偶像礼拝とは
偶像礼拝とは、偶像を礼拝の対象とすること。あるいは、何かに過度に愛着を抱いたり、心を奪われたりすることをいいます。
偶像、あるいは偶像を礼拝してはならない、という言葉は旧約聖書の中に登場します。
『神はこのすべての言葉を語って言われた。
わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならない。
それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、
わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。』
(『出エジプト記』第20章1節〜6節)
上に引用した聖句には『自分のために、刻んだ像を造ってはならない』とあります。
この当時、イスラエルの民は主によって長年の奴隷生活を終焉させ、エジプトの地から脱出できたことを忘れ、生ける神、つまり主ではなく自分たちの思い通りの姿に金を鋳て像を造り、それを神として拝んだりしました。
彼らはかつて生活していたエジプトにおいて神とされていた牡牛をかたどって像を造ったと記されています。
『民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、私たちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。
アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」。
そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。
アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。
アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは布告して言った、「あすは主の祭である」。』
(『出エジプト記』第32章1節〜5節)
ここで登場する『アロン』とはモーセの兄です。
モーセは生まれて間もなく母親によって葦の船に乗せられ川に流されました。
当時ヘブライ人の男児が生まれたならばことごとく殺すようにとエジプトの王パロから勅命が下されており、それを避けるための行動だったのです。
それを見つけたパロの娘が引きとって養子として育てたようです。
ヘブライ人の生まれでありながらエジプトの王室で育ったモーセはヘブライ語に堪能ではなく、イスラエルの民を導く役割を担うモーセを補佐するよう主がアロンを任じました。
イスラエルの民がアロンに詰めよっていた頃、モーセはシナイの山で主から十戒を授かっていました。
アロンは民が偶像礼拝に戻ることを恐れていたと思われます。
エジプトの国で数百年に渡って奴隷生活をしていたイスラエルの民は、エジプト人の偶像礼拝を受け入れていた者が多かったはずです。
やっと生ける神がイスラエルの民を解放してくださったというのに、彼らはモーセが戻るのが遅いからと言って痺れを切らしたようです。
アロンが民の中から金細工を集めさせ、子牛の像を造った理由は推察するしかありません。
ですが、『アロンがこれを…鋳て子牛とした』ので、『彼らは』つまりイスラエルの民は仲間たちに『これは…あなたの神である』と言ったのです。
続く聖句を見ると『アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた』とあります。
『あすは主の祭である』とアロンが宣言しているように、この祭壇は主のための祭壇です。
このシーンは少しややこしいので、情景を思い起こしながら推察を含めてお話ししますと、アロンはイスラエルの民から金の装飾品を集めて子牛を象り像を造りました。
なぜアロンが子牛の像を造ったのかは明確にはわかりません。
それを見たイスラエルの民は『これがあなたの神だ』と騒いだのですが、アロンは主のための祭壇をさらに築き、『あすは主の祭である』と民に対して主を礼拝するように勧告した、ということです。
ですが結局、イスラエルの民はその祭壇で子牛の像のために燔祭をささげたようです。
やがてモーセが山を降ってきてから、乱痴気騒ぎをする民を見て激怒します。
金の子牛は火に焼いて粉々に砕き、水の上にまいてイスラエルの民に飲ませたとあります。
もしかすると、アロンも主の祭壇の前で金の子牛の像を破壊するのを民に見せ、この世の富に執着せず、主を礼拝するよう促したかったのかもしれません。
いずれにせよモーセは祭司一族であるレビの民に命じ、これらの騒ぎを起こした反逆者3000名を一夜のうちに殺させました。
自分の神の像
旧約聖書の時代から偶像礼拝については避けるべきであると、さまざまな預言者が勧告をしています。
繰り返しになりますが、偶像礼拝とは『偶像を礼拝の対象とすること。あるいは、何かに過度に愛着を抱いたり、心を奪われたりすること』です。
『教義と聖約』のなかに興味深い聖句があります。
『主の腕が現される。そして、主の声もその僕たちの声も聞こうとせず、預言者たちや使徒たちの言葉も心に留めようとしない者たちが、民の中から絶たれる日が来る。
彼らはわたしの定めから離れ去り、わたしの永遠の聖約を破った。
彼らは主の義を打ち立てるために主を求めようとせずに、すべての人が自分の道を、自分の神の像を求めて歩む。その像は俗世の形であり、その本質は偶像のそれである。それは古びて、バビロン、まことに大いなるバビロンにおいて滅び、バビロンは倒れる。』
(『教義と聖約』第1章14節〜16節)
この聖句では偶像とは神の聖約に背く者たちにとっての『神の像』であり、それは俗世のものであると記されています。
新約聖書には、この聖句と意味合いが近いものが納められています。
『わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。
だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。』
(『コロサイ人への手紙』第3章4、5節)
地上のものに対する欲望、貪欲が偶像礼拝であると教えています。
この聖句は現代の私たちにも当てはめて考えることができます。
例えば、この世のものや金銭を豊かに持ち、それらに心を奪われてしまうことは偶像礼拝に陥りやすいと考えられます。
誤解してほしくないのは、この世で富を豊かに持つことが悪いわけではありません。
富を豊かに持っていても、神に仕えることはできます。
大切なのは、神よりも金銭を愛してはならない、ということです。
『だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。』
(『マタイによる福音書』第6章24節)
富に心を奪われること
この世で金銭を豊かに持てる人は、得た富を貧しい人々に分け与えるように求められています。
『同胞を自分自身のように思いなさい。そして、すべての人と親しくし、あなたがたのように彼らも豊かになれるよう、所有物を惜しみなく与えなさい。
しかし、富を求める前に神の王国を求めなさい。
キリストに望みを抱いてから富を求めるならば、富は得られるであろう。しかし、富を求める目的は、裸でいる者に着せ、飢えている者に食物を与え、束縛されているものを自由にし、病人や苦しんでいる者を救うなど、善を行うことである。』
(『ヤコブ書』第2章17節〜19節)
金銭やこの世のものを豊かに持ち、それに執着してしまうことに注意するよう、古代の預言者たちはそれぞれの時代で勧告しています。
『あなたがたは、しえたげにたよってはならない。かすめ奪うことに、むなしい望みをおいてはならない。富の増し加わるとき、これに心をかけてはならない。』
(『詩篇』第62篇10節)
『金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲張って金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。』
(『テモテへの第一の手紙』第6章10節)
これらの聖句に共通しているのは、『金銭を持ってはならない』とは書いていないことです。特に詩篇には『富の増し加わるとき』とあります。自ら富を増し加えてはならない、とは書かれていません。
この世に金銭を用いた貨幣制度があるのも主の御心です。
わたしたちはこれらこの世の富を用いて、貧しい人や隣人に仕えることができるのだと学ぶべきなのです。
『それゆえ、価値のないものに金を使ってはならない。満足を得られないものに労力を費やしてはならない。熱心にわたしに聞き従い、わたしがこれまでに語った言葉を覚えておきなさい。そして、イスラエルの聖者のみもとに来て、腐ることも朽ちることもないものを食べて、豊かなものによってあなた自身を喜ばせなさい。』
(『ニーファイ第二書』第9章51節)
現代の啓示にも、金銭や物品の使い方に注意を払うように記されています。
『誰でもあなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。その人はあなたがたに食物を与え、衣服を与え、また金銭を与えるであろう。
そして、あなたがたに食物を与え、衣服を与え、あるいは金銭を与える者は、決してその報いを失うことはない。』
(『教義と聖約』第84章89、90節)
『モルモン書』にも、富に心を奪われたことで人々が高慢になり始めたことが記されています。
最終的に彼らは民の偶像礼拝がもととなり、民の間で戦争が起こり、滅亡してしまいました。
『しかし、この世のものを豊かに持つ富者は災いである。彼らは自分が富んでいるので、貧しい者をさげすみ、柔和な者を迫害する。また、彼らの心は彼らの富にあるので、富が彼らの神となっている。そして見よ、彼らの富は彼らとともに滅びるのである。』
(『ニーファイ第二書』第9章30節)
『さて、さばきつかさの統治第八年には、教会の人々は次第に高慢になり始めた。それは、彼らが勤勉であることによって得た非常に多くの富と折り目の細かい絹と、より糸で織った亜麻布と、大小の多くの家畜の群れと、金と銀、あらゆる貴重な品々のためであった。彼らはこれらのものに恵まれて非常に高価な衣服を身につけるようになり、高慢な目をもって高ぶった。』
(『アルマ書』第4章6節)
アルマ書から引用した聖句は、『モルモン書』のほかの箇所にも似たような記述があります。
民は神からの祝福を得て真面目に働き、やがて家畜や衣服、金や銀などを豊かに持つようになるのですが、そうすると一部に心が高ぶる者が出てくるのです。
『教会の人々は』とあるように、高ぶり始めたのは神の御名を受けて神に仕えると聖約を交わした人々です。
神の戒めを知っている人々であっても、この世の富と、その魅力を知り尽くしたサタンからの誘惑に抗うことは容易ではありません。
アダムの息子の一人、カインも弟アベルの所有していた羊の群れを欲するがゆえに彼を殺しました。
主は間違いなく、私たちがこの世においても豊かな生活ができるようになることを望んでおられます。
あくまでもこの世のもの、家畜や生活に必要な様々な物品、金銭などの扱いに注意するように教えておられるのです。
神を敬う
モルモン書には、紀元前約600年頃にエルサレムを離れ、約束の地へと主によって導かれるヨセフの子孫たちの記録が記されていますが、エルサレムを離れて間もない頃は多少の不和はあったものの、預言者が民を導いていました。
ですが、現在のアメリカ大陸である『約束の地』についてからは、増えはじめた民のあいだで争いが生じるようになりました。
一方の民には預言者がおり、主の戒めを教えながら民を導いたのですが、もう一方の民には長い年月預言者がおらず、主なる神が一体どういった存在なのかを教えることができませんでした。
彼らはかつて先祖が持っていた不完全な知識と先祖からの言い伝えを信仰の柱とし、いつしか偶像を拝むようになりました。
どのような像を人の手で造って拝んだところで、それはものを言うわけではありません。
また金や銀なども所有欲を満たしてはくれるでしょうが、その価値が通用するのはこの世にいる間だけです。
約束の地に住んでいたヨセフの子孫たち『ニーファイ人』の中で、偶像を礼拝する民に主の道を説いた預言者のひとり、アビナダイという人物がいます。
彼が生きていたのは紀元前約百六十年前後であり、この当時民を治めていたのはノアという名の王でした。
ノア王の父親は名をゼニフといい、ニーファイの民を守るために戦い、また主の道を歩みましたが、息子の一人であるノアは非常に邪悪な統治を行いました。
預言者アビナダイは主の御言葉を民に伝えたために捕らえられ、王の前に引き出されますが、その場でノア王や祭司たちにモーセの律法を教え始めます。
『わたしは主なるあなたの神であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出した者である。
あなたはわたしの他に、何ものをも神としてはならない。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるものの、どのような形をも造ってはならない。』
(『モーサヤ書』第12章34節〜36節)
このときアビナダイは、ノア王と祭司たちの偶像礼拝を責めましたが、それ以外にも彼らの生活についても同様に責めました。
ノア王は民に重い税を納めさせ、王と祭司たちはその税で非常に怠惰な生活をしていたためです。
『見よ、ノア王は神の戒めを守らず、自分の心の望むままに歩んだ。彼は多くの妻とそばめを持ち、また民にも罪を犯させ、主の目から見て忌まわしいことを行わせた。そして彼の民は、みだらなこととあらゆる悪事とを行なった。
また彼は、民が所有するすべてのものに五分の一の税をかけた。すなわち、民の金と銀の五分の一を、そしてジフと銅と真鍮と鉄の五分の一を、また民の肥えた若い家畜の五分の一を、それに穀物の五分の一を徴税した。
そして彼は、この税をすべて、自分自身と妻たちとそばめたち、また祭司たちとその妻たちとそばめたちの生活を支えるために取り立てた。このようにして彼は、王国の政務を変えてしまった。…
このようにして、祭司たちは怠惰に暮らして、偶像を拝し、みだらな行いをしながら、ノア王が民に課した税で養われた。このように、民は罪悪を支えるために、非常な骨折りをしたのであった。…
さて、王は富に心を寄せ、妻たちやそばめたちとの放埒な生活に時を過ごした。また、王の祭司たちも娼婦たちと時を費やした。』
(『モーサヤ書』第11章 2節〜4節、6節、14節)
上に引用した他にも、ノア王とその祭司たちが心の赴くままに怠惰な生活を続けていたことが記されています。
ノア王と祭司たちはこの世の富に心を奪われ、まことの神を敬うことを忘れていました。
『だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。』
(『コロサイ人への手紙』第3章5節)
ノア王の行いはまさにこの聖句に表されています。
この世の富に対する貪欲は偶像礼拝なのです。
わたしたちには大切な原則が与えられています。
そのうちのひとつは『神を敬う』ということです。
このことについて、ジェームズ・E・ファウスト長老のお話から引用します。
『皆さんが持つ大きな可能性を実現するためには、次の4つの神聖な原則を尊んで生活する必要があります。
1.神を敬う。
2.家族の関係を尊重し、大切にする。
3.聖なる神権の儀式と聖約を敬い、従う。
4.自分を神の息子として大切にする。
今晩わたしはこれら4つの偉大な原則についてお話ししたいと思います。
第1の原則は神を敬うことです。わたしたちは教会の歴史を通じて類を見ないほど物質的な祝福を豊かに受けてきました。わたしはそのことについて主に感謝しています。これらのものはわたしたちが善を行い、地上における業を前進させるために与えられました。けれどもわたしたちの多くは繁栄によって、「見ることも、聞くことも、物を知ることもできない金、銀、青銅、鉄、木、石の神々」とダニエルが呼んだものに心を奪われているのではないかと危惧しています。もちろんこれらは偶像です。
神聖なものに対して尊敬を表すためには、神を愛して敬うことがほかの何よりも大切です。世界の歴史を通じて、人々はほとんどの時期に偶像礼拝に深くかかわり、偽りの神を拝むか、この世のものを豊かに持つことに心を奪われていました。
救い主が復活された後、ペテロと何人かの弟子たちはテベリヤの海へ行きました。ペテロは漁に行くと言いました。ほかの弟子たちもペテロと一緒に行くことを同意しました。彼らは自分たちが人間をとる漁師であることを忘れてしまったかのようでした。一晩中漁をしましたが、何の獲物もありませんでした。夜が明けたころ、イエスが海辺に立っていて、舟の右の方に網を下ろすように言われました。すると網にいっぱいの魚がとれました。イエスは捕らえた魚を持って来るように弟子たちに言われました。ペテロと弟子たちは153匹の魚を引き上げました。彼らが岸に戻って来ると、炭火がおこしてあって、その上に魚が載せられていました。救い主はその魚とパンを食べるように勧められました。彼らが食べ終わると、イエスはシモン・ペテロに言われました。「あなたは〔これらを〕愛する以上に、わたしを愛するか。」ペテロは熱心な漁師でした。ペテロは魚をとって生計を立てていました。救い主はその仕事からペテロを召して、人間をとる漁師にされたのでした。
わたしたちは魚や銀行預金、自動車、きれいな衣服、株や債権、定期預金、そのほかの何よりも主を愛するように求められています。それは絶対的なものです。古代イスラエルに与えられた最初の戒めは「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」 でした。律法学者が最も大切な戒めについて尋ねたとき、救い主は自らこの戒めをさらに拡大して、言われました。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。」
公の席やテレビを通して人々が「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない」という戒めをいとも簡単に破っているのを見るにつけ、わたしは心が痛むのを覚えています。わたしたちは教義と聖約107章で、「〔神〕の名をあまり頻繁に繰り返すのを避けるために」 聖なる神権は偉大な大祭司メルキゼデクの名にちなんで名付けられたと教えられています。聖なるものを敬い、尊重することはすべて、第1の戒めである「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」 に由来しています。
救い主の御名において行動する神権の権能を受けているわたしたちは、ほかの何よりも父なる神とイエス・キリストと聖霊を敬う必要があります。』
(『わたしを尊ぶ者を、わたしは尊ぶ』ジェームズ・E・ファウスト 2001年4月総大会より一部抜粋)
自分の手を使って働く
約束の地に暮らしていたヨセフの子孫には、大きく分けて『ニーファイ人』と『レーマン人』というふたつの民が存在しました。
厳密には他の民も混ざっているのですが、ニーファイもレーマンも同じ父を持つ兄弟であり、それぞれ民を治める身となった彼らは自らの民を『ニーファイ人』、『レーマン人』と呼びました。
弟ニーファイは父リーハイとともに主に従う預言者として正しく民を治めました。
ですがリーハイの長男であるレーマンは父や弟ニーファイの勧告に耳を貸さず、主の戒めを守らず、民を治めるように主から召されたニーファイに対して憎しみを抱くようになります。
やがて彼らは分かれて暮らすようになりましたが、ある時代はどちらかの民が神に背き、またある時代は両方とも悪くなり、といった風に繁栄と衰退を繰り返し、最終的には『ニーファイ人』の滅亡によって幕を下ろしました。
現在ネイティヴアメリカンと呼ばれている人々がレーマン人の子孫です。
彼らがユダヤ人であることが末日の啓示ではっきりと明かされています。
『この書は異邦人にあてたわたしの言葉であり、これはユダヤ人に、すなわちレーマン人はその残りの者である、そのユダヤ人に間もなく伝えられるであろう。それは、彼らが福音を信じて、すでに来ているメシヤが来るのを待ち望むことのないようにするためである。』
(『教義と聖約』第19章27節)
レーマン人はニーファイの民が神に背いたとき、彼らを滅ぼすため、主によって備えられていました。
『主なる神はこう言われる。「彼らが自分たちの罪悪を悔い改めなければ、わたしは彼らをあなたの民にとって不快な者としよう。
彼らの子孫と縁を結ぶ者の子孫はのろわれる。それらの者は同じのろいを受けるからである。」主はそう言われ、そのとおりになった。
彼らは、自分たちに下されたのろいのために、悪意と狡猾さに満ちた怠惰な民となり、荒野ので猛獣をあさった。
主なる神はわたしに言われた。「彼らはあなたの子孫にわたしのことを思い起こさせるため、あなたの子孫にとって鞭となるであろう。そして、あなたの子孫がわたしを覚えて、わたしの言葉に聞き従わなければ、彼らはあなたの子孫を、滅びに至るまで鞭打つであろう。」
(『ニーファイ第二書』第5章25節)
上に引用した聖句で『彼ら』と呼ばれているのはレーマンの子孫であるレーマン人、『あなた』とはニーファイの事です。
この預言の通り、キリストを否定しないニーファイの民は、のちに天使となってジョセフ・スミスの前に姿を表すモロナイを除く全ての者がレーマン人の手によって殺されました。そしてモロナイがいつまで生きていたのか、記録はもちろんありませんが、彼の死によってニーファイ人は滅亡しました。
ちなみに聖句をそのまま読むと、レーマン人たちは『キリストを否定しないニーファイ人』をすべて殺していった、と書かれています。
レーマン人の手を逃れたニーファイ人が一人もいなかったかどうかは不明ですが、モロナイはニーファイ人の最後の預言者と記されています。
イエス・キリストが復活したのち、約束の地に住むニーファイの民の前にも姿を現し、彼らにも福音の教えを説きました。
イエスは十二人の弟子を選び、彼らによってキリストの教会を設立し、やがてレーマン人もニーファイ人もともに皆、地の全面で主に帰依しました。
彼らは非常に平和な民となり、争いもなく暮らしていたのですが、キリストが来られてから201年が経過した時、高価な衣服を身につけて高慢になった者たちが民の中に現れました。
徐々に民の中で福音を受け入れない者が増え始め、またキリストを知っていると公言しながら、キリストの福音の大半を否定し、あらゆる悪を受け入れる教会が増えました。
『また、ニーファイの民と呼ばれた民も、自分たちの非常に多くの富のために心の中で誇り、同胞であるレーマン人のように虚栄心が強くなり始めた。』
(『ニーファイ第四書』第1章43節)
紀元約231年が過ぎる頃、民の中に大きな分裂がありました。やがて民の中のひときわ悪い者たちが力をつけ、正しい人々よりもはるかに数が多くなりました。
そして紀元約321年頃、ニーファイ人とレーマン人の間で戦争が始まりました。
この戦争は一時的な休戦状態を何度かとりながら、紀元約421年あたりまで続きます。
最終的に彼らが滅びに至る原因となったのは、民の多くが神を省みず、この世の富と利己的な考えに思いを向けたことでした。
わたしたちはこの事実から学ぶ必要があります。
神とその勧告を無視し、心をかたくなにすることはサタンに居場所を与えることになります。
そしてサタンは人々を堕落させるためにはあらゆる手段を使うからです。
『さて、第九十五年も過ぎ去り、民は前に聞いたあの数々のしるしと不思議を忘れ始め、またしるし、すなわち天からの不思議に次第に驚かなくなってきた。そして、彼らの心はかたくなになり、思いはくらみ、彼らはかつて見聞きしたすべてのことを信じなくなった。
すなわち、そのしるしは民の心を惑わし欺くために、人によって、また悪魔の力によって行われたものであるという、愚かな思いを心に抱くようになった。このようにしてサタンは再び民の心を支配した。そして、彼らの目をくらまし、彼らを惑わして、キリストの教義は愚かでむなしいものであると信じさせた。
そこで民は、悪事と忌まわしい行いを重ね、さらにこれからもしるし、すなわち不思議が示されることを信じなかった。そしてサタンは、方々を巡って民の心を惑わし、誘惑し、民にこの地で大きな悪事を行わせた。』
(『ニーファイ第三書』第2章1節〜3節)
この世の富を含め、偶像を礼拝することは神を忘れることにつながります。人は高慢になれば周囲の人々よりも自分の方が優れている、という考えを抱くからです。
末日の啓示にも偶像礼拝に注意するようにと主から勧告が与えられています。
『残りの長老たちは、教会を見守り、また周りの地域で御言葉を告げ知らせなさい。また、偶像礼拝や悪事が行われないように、自分の手を使って働きなさい。
また、貧しい者と乏しい者、病気の者と苦しんでいる者を、すべてのことに置いて思い起こしなさい。これらのことを行わない者は、わたしの弟子ではないからである。』
(『教義と聖約』第52章39、40節)
さいごに
偶像礼拝はサタンが存在している限り、いつの時代にも存在します。
神の存在と神の戒めを知って理解していても、ほんの僅かな隙を見つけてサタンは人を誘惑します。
そして、わたしたちはできる限り常に、祈りを通して主から強められるように求めることができます。
勤勉な生活によってこの世の富が増し加わる時も、それに心を奪われず、高慢にならないように注意するべきです。
今回はここまでにしましょう。
聴いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
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