福音ラジオ 第二十七回『安息日』

目次

導入

みなさんこんばんは、かいです!

聴いてくださっている皆さんに感謝しています。

ありがとうございます。

今回は『安息日』についてお話しします。

読み方ですが、『あんそくび』『あんそくにち』『あんそくじつ』など人によって異なります。

わたしの所属する教会では、会員の年齢によって読み方が異なっているように思います。

そもそもの話をしますと太古の信仰から始まったような概念ですので、日本語読みに正誤はないと思います。

わたしは6文字より5文字の方が発音しやすいので『あんそくび』と言ってます。

安息日とは

さて、旧約聖書を聖典とする3つの宗教、つまりユダヤ教、キリスト教、イスラム教ではいずれも安息日が存在していますが、各宗教で扱い方が異なっています。

ですが、いずれの宗教でも旧約聖書の創世記において、神が天地創造の七日目にすべての業を離れて休まれたことに由来しています。

『こうして天と地と、その万象が完成した。

神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。

神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。』

(『創世記』第2章1節〜3節)

同じく旧約聖書の出エジプト記に、戒めのひとつとして安息日を尊ぶように教えられています。

『安息日を覚えて、これを聖とせよ。

六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。

七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。』

(『出エジプト記』第20章8節〜11節)

何のためにあるのか

ユダヤ教において、安息日は旧約聖書の時代から週の終わりの日である土曜日でした。

新約聖書の時代になって、イエスの復活が起こったのが日曜日であったことなどから、キリスト教において安息日は主の復活を記念するために週の最初の日を安息日とするようになりました。

今日でも、わたしたちは週のうちの一日を、神を礼拝し世の働きを休む聖なる安息日として守っています。

『もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを認めず、むなしい言葉を語らないならば、

その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う。これは主の口から語られたものである。』

(『イザヤ書』第58章13、14節)

安息日は人のために与えられました。また、神と人との間のしるしとして与えられたものです。

『わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。

わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである。』

(『エゼキエル書』第20章12節、20節)

新約聖書の中で何度か触れられていますが、安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるわけではありません。

『ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。

すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。

そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。

すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ備えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。

また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。

それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。』

(『マルコによる福音書』第2章23節〜28節)

聖餐式

クリスチャンの人たちの多くは安息日に教会に集い、聖餐式を行います。

『また、あなたは、世の汚れに染まらずに自らをさらに十分に清く保つために、わたしの聖日に祈りの家に行って、聖式をささげなければならない。

まことに、この日は、あなたがたの労苦を解かれて休み、いと高き方に礼拝を捧げるように定められた日だからである。

それでも、あなたの誓言は、毎日、また常に、義をもって捧げなければならない。

しかし、この主の日に、あなたはいと高き方にあなたの供え物と聖式をささげ、また兄弟たちと主の前にあなたの罪を告白しなければならない事を覚えておきなさい。

また、この日には、あなたはほかに何事もしないようにしなければならない。ただ、あなたの食物を真心を込めて準備して、あなたの断食が完全になるように、言い換えれば、あなたの喜びが満たされるようにするだけである。』

(『教義と聖約』第59章9節〜13節)

聖餐式についてはまた機会を改めてお話しします。

さいごに

宗派などによっても扱いが異なると思いますが、安息日はクリスチャンにとっては体と霊に養いを与える意味でも大切な日です。

わたしたちの教会でも安息日は買い物を控えるなどして、家族と過ごすようにしています。

今回はここまでにしましょう。

聴いてくださってありがとうございました。

またお会いしましょう。

おやすみなさい。

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この記事を書いた人

はじめまして。プロフィールを見てくださってありがとうございます。
少し自己紹介をさせてください。
よもやま かいといいます。香川県出身です。
キリストを信じる信仰を持つクリスチャンで、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。
絵を描くことが好きで、筆記具を集めたりしてます。

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