福音ラジオ 第三十六回『生けるキリスト』

目次

導入

みなさんこんばんは、かいです!

聴いてくださっているみなさんに感謝します。

ありがとうございます。

さて、イエス・キリストは今から約2000年前、十字架にかかって命を落としました。

彼は全ての人の罪の行いに対する罰をその身に負い、それによって、わたしたちが悔い改めるならば、罪がもたらす影響を取り除いてくれるようになりました。

これにより、人と神との和解を可能にしてくれました。

これが贖罪です。

そしてイエスは十字架にかかって三日目に復活し、神の右に座しておられます。

『しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。』

(『使徒行伝』第7章55節)

祈りのススメ

この記事内にはわたしたちが所属する末日聖徒イエス・キリスト教会の聖典である新約、旧約の聖書とモルモン書、教義と聖約、高価な真珠の中から聖句を引用しています。

また総大会と呼ばれる教会指導者たちの勧告などのお話からも引用する場合があります。

クリスチャンである方もそうでない方も、聖句を読むとき、以下のことに注意を払っていただけましたら幸いです。

『見よ、わたしはあなたがたに勧めたい。あなたがたにとってこの記録を読むことが、神の知恵にかなうようであれば、あなたがたはこれを読むときに、アダムが造られてからあなたがたがこれを受けるときまで、主が人の子らにどれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし、それを心の中で深く考えてほしい。

また、この記録を受ける時、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。

そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。』

(『モロナイ書』第10章3節〜5節)

現在も生きておられるキリスト

イエスは現在でも生きておられます。

わたしたちの所属する教会『末日聖徒イエス・キリスト教会』が十字架を象徴として使用しないのは、彼が現在も生きておられ、十字架は彼の死の象徴だからです。

基本的に教会員が公式の場で十字架を象徴するものを身につけたり、身に帯びたりすることはありません。

ただ、軍属の会員の一部にのみ十字架を象徴するものが付けられた衣類を身につけることが認められています。

イエスが生きていることを証する聖文は多く、末日に与えられた啓示も主が生きておられることを裏付けています。

『イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。』

(『使徒行伝』第1章3節)

末日聖徒イエス・キリスト教会が聖典としている書物である『モルモン書』は、紀元前約600年にエルサレムを離れて約束の地(現在のアメリカ大陸)へと主によって導かれたヨセフの子孫たちの記録です。

この中に、紀元約34年には復活したイエスが彼らの子孫に現れたことが記されています。

イエスの磔刑のとき、エルサレムでも地震が起こったと新約聖書に記されていますが、約束の地でも同様のことがおこり、民は大混乱しました。

暴風雨や地震、火事、旋風、自然の大変動が起こり、いくつもの街が海に沈み、地の下に飲み込まれました。

『さて、ニーファイの民の大勢の群衆がバウンティフルの地にある神殿の周りに集まり、互いに驚き、不思議に思い、また各地に起こった大いなる驚くべき変化について互いに話し合っていた。

彼らはまた、すでにその死にかかわるしるしが現れたイエス・キリストについても語り合っていた。

そして、彼らが互いに語り合っていたとき、天から発せられるような声が聞こえた。しかし彼らは、自分たちに聞こえたその声の告げる意味が分からなかったので、辺りを見回した。それは耳障りな声ではなく、大きな声でもなかったが、小さな声でありながら、聞いた人々の心の中まで貫いたので、彼らの全身はことごとくそれによって震えた。まったく、それは魂そのものにまで彼らを貫き、彼らの心を燃え上がらせた。

そして彼らは、再びその声を聞いたが、それでもその声の告げる意味が分からなかった。

その声は三度まで聞こえ、彼らはこの度は耳を開いてそれを聞き、目をその声のする方へ向けて、その声が発せられる天を見詰めていた。

すると見よ、三度目には、彼らは自分たちに聞こえたその声の告げる意味が分かった。その声は彼らに語った。

「わたしの愛する子を見なさい。わたしの心にかなう者である。わたしは彼によって、わたしの名に栄光を加えた。彼に聞きなさい。」

そして、彼らはその意味が分かったので、再び天を見上げた。すると見よ、天から一人の男の方が降って来られるのが見えた。この御方は白い衣を着ておられ、降って来て群衆の中に立たれた。全群衆の目がこの御方に注がれたが、彼らは互いの間でさえ、あえて口を開こうとはしなかった。また彼らは、自分たちに御姿を現された御方を天使であると思ったが、これがどういうことなのか分からなかった。

そこでこの御方は、片手を差し伸べて人々に言われた。

「見よ、わたしはイエス・キリストであり、世に来ると預言者たちが証した者である。

見よ、わたしは世の光であり命である。わたしは、父がわたしに下さったあの苦い杯から飲み、世の罪を自分に負うことによって父に栄光をささげた。わたしは世の罪を負うことによって、初めから、すべてのことについて父の御心に従ってきた。」

さて、イエスがこれらの御言葉を語り終えられると、群衆は全員地に伏した。彼らは、キリストが天に昇られた後、自分たちに御自身を現されることが預言されていたのを思い出したからである。』

(『ニーファイ第三書』第11章1節〜12節)

わたしたちの教会の初代大管長であるジョセフ・スミス・ジュニアは14歳であったある日、父なる神と御子イエス・キリストにまみえました。

『わたしは前もって決めておいた場所に人目を避けて行き、あたりを見回し、自分一人であることを確かめると、ひざまずいて、心の願いを神に告げ始めた。わたしがそうし始めるやいなや、すぐにわたしは何かの力に捕らえられた。その力は完全にわたしを圧倒し、わたしの舌をしびれさせるほどの驚くべき力を振るったので、わたしは物を言うこともできなかった。深い闇がわたしの周囲に集まり、一時はあたかも突然の滅びを宣告されたかのように思われた。

しかし、わたしは自分を捕らえたこの敵の力から救い出してくださるようにと、あらん限りの力を尽くして神に呼び求めた。すると、わたしが今にも絶望し、破滅に身を任せようとしたその瞬間、すなわち想像上の破滅ではなく、目に見えない世界から来た実在する何者かの力、わたしがこれまでいかなる者にも一度も感じたことのないほどの驚くべき力を持った者の力に身を任せようとした瞬間、この非常な恐怖の瞬間に、わたしは自分の真上に、太陽の輝きにも勝って輝いている光の柱を見た。そして、その光の柱は次第に降りてきて、光はついにわたしに降り注いだ。

それが現れるやいなや、わたしはわが身を縛った敵から救い出されたのに気づいた。そして、その光がわたしの上にとどまったとき、わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持った二人の御方がわたしの上の空中に立ってられるのを見た。すると、そのうちの御一方がわたしに語りかけ、わたしの名を呼び、別の御方を指して、「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」と言われた。』

(『ジョセフ・スミスー歴史』第1章15節〜17節)

この時の現れをわたしたちの教会では『最初の示現』と呼びます。

こののちもイエスはジョセフ・スミスや他の教会員の前に御姿を現されました。

現代の使徒たちの証

末日聖徒イエス・キリスト教会は組織される前からキリストに導かれていました。

教会員たちはさまざまな苦難を受け、迫害されてきましたが、いかなる時も常に主が預言者を通じて教会を導いてきました。今この瞬間もそうです。

西暦2000年、当時の大管長会と十二使徒が全世界に向けて一つの証を述べました。

『生けるキリスト』と題されたこの公式の文書は、わたしたちの救い主であるキリスト・イエスが今も生きておられ、彼が父なる神の御子であることを証するものです。

『2000年前のイエス・キリストの降誕を祝うに当たり、わたしたちはイエス・キリストのたぐいまれな生涯が現実のものであり、この御方の偉大な贖いの犠牲が無限の力を有することを証します。これまでに地上に生を受けた人々およびこれから生を受けるすべての人々に対して、この御方以上に深遠な影響を及ぼしてきた人物は存在しません。

イエス・キリストは旧約の大いなるエホバであり、新約のメシヤでした。御父の指示の下に、イエス・キリストは地球を創造されました。「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」のです(ヨハネ1:3)。イエス・キリストは罪がなかったにもかかわらず、すべての義を成就するためにバプテスマをお受けになりました。イエス・キリストは「よい働きをしながら……巡回」されましたが(使徒10:38)、そのためにさげすまれました。イエス・キリストの福音は平和と善意のメッセージでした。イエス・キリストはすべての人々に,御自身が示す模範に従うよう熱心に勧められました。イエス・キリストは病人を癒し、目の不自由な人々の目を見えるようにし、死人をよみがえらせながら、パレスチナの道を歩まれました。また、永遠の真理と、前世が実際に存在すること、この世での人生の目的、および神の息子や娘が持つ来世における可能性についてお教えになりました。

イエス・キリストは、御自分の偉大な贖いの犠牲を思い起こすためのものとして、聖餐をお定めになりました。イエス・キリストは捕らえられ、偽りの訴えによってとがめられ、暴徒の意に応じて有罪とされ、カルバリの十字架上での死刑を宣告されました。そして、全人類の罪を贖うために命をささげられました。イエス・キリスト御自身が、地上に生を受けるすべての人々のための偉大な身代わりの贈り物となられたのです。

わたしたちは、全人類の歴史の中心であるイエス・キリストの生涯が、ベツレヘムで始まったのでもなければカルバリで終わったのでもないことを厳かに証します。イエス・キリストは御父の長子、肉における独り子、世の救い主でした。

イエス・キリストは「眠っている者の初穂として」墓からよみがえられました(1コリント15:20)。そして復活された主として、地上での生涯において愛した人々のもとをお訪ねになりました。

また、古代アメリカの「他の羊」の間でもお教えになりました(ヨハネ10:16)。現代においては、御父とともに少年ジョセフ・スミスに御姿を現されました。こうして、長い間約束されてきた「時の満ちる」神権時代が到来したのです(エペソ1:10)。

生けるキリストについて、預言者ジョセフはこのように記しています。「その目は燃える炎のようであり、その頭髪は清らかな雪のように白く、その顔は太陽の輝きに勝って光り輝いていた。また、その声、すなわちエホバの声は大水の奔流のとどろきのようで、このように言われた。

『わたしは最初であり、最後である。わたしは生きている者であり、殺された者である。わたしは父に対するあなたがたの弁護者である。』」(教義と聖約110:3-4)

イエス・キリストについて、預言者ジョセフはまた次のように宣言しています。「そして今、小羊についてなされてきた多くの証の後、わたしたちが最後に小羊についてなす証はこれである。すなわち、『小羊は生きておられる。』

わたしたちはまことに神の右に小羊を見たからである。また、わたしたちは証する声を聞いた。すなわち、『彼は御父の独り子であり、

彼によって、彼を通じて、彼から、もろもろの世界が現在創造され、また過去に創造された。そして、それらに住む者は神のもとに生まれた息子や娘となる』と。」(教義と聖約76:22-24)

わたしたちは、イエス・キリストの神権とイエス・キリストの教会が地上に回復されたこと、そしてその教会は「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられ……キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である」ことを厳粛に宣言します(エペソ2:20)。

わたしたちは、イエス・キリストがいつの日か地上に戻って来られることを証します。「こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る」のです(イザヤ40:5)。イエス・キリストは王の王として治め、主の主として統治されます。イエス・キリストの前にすべてのひざがかがみ、すべての舌がイエス・キリストを賛美することでしょう。わたしたち一人一人は将来、自分の行いと心の望みについて裁きを受けるためにイエス・キリストの前に立つことになります。

わたしたちは正式に聖任を受けたイエス・キリストの使徒として証します。イエスは生けるキリスト、不死不滅の状態にある神の御子です。イエス・キリストは今日、大いなる王、インマヌエルとして御父の右に立っておられます。イエス・キリストは世の光、命、そして希望です。イエス・キリストの道は、この世においては幸福に、後の世においては永遠の命に至る道です。わたしたちは御子という比類ない贈り物を授けてくださった神に感謝しています。

大管長会

2000年1月1日 署名

さいごに

神の実存と、この瞬間も神が生きておられることを完全に信じきれない、という方も多いと思います。

ですが、信じてみようという気持ちがあるなら、どうぞ祈ってくださるようお勧めします。

真摯な祈りを、神は聞くのを遅くすることはありません。

クリスチャンでなくても聖霊は働きかけてくださるからです。

ナザレのイエスと呼ばれた人こそがキリストであり、彼は今も生きています。

わたしたち日本人が、いつか彼についての事実を知り、驚くことでしょう。

ひとりでも多くの人が彼への信仰を持ってくだされば幸いです。

今回はここまでにしましょう。

聴いてくださってありがとうございました。

またお会いしましょう。

おやすみなさい。

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この記事を書いた人

はじめまして。プロフィールを見てくださってありがとうございます。
少し自己紹介をさせてください。
よもやま かいといいます。香川県出身です。
キリストを信じる信仰を持つクリスチャンで、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。
絵を描くことが好きで、筆記具を集めたりしてます。

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