導入
みなさんこんばんは、かいです!
第一回目で申し上げましたが、わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員です。
この教会は新訳、旧約の『聖書』と『モルモン書』、そして『教義と聖約』、『高価な真珠』の四つの書物を公式の正典としています。
中でも、『モルモン書』は以前教会の俗称にも使われていましたので、ご存知の方もいらっしゃるかも知れません。
今回は、この『モルモン書』がどのような書物なのかをお話しします。
今回も聖典と教会の出版物を参照します。
またいくつかわたし個人の考えも含まれますが、これについては教会の公式な見解ではありません。
イエス・キリストについてのもう一つの証
モルモン書の表紙を開くと、タイトルが書かれている下に、『イエス・キリストについてのもう一つの証』と記されています。
『もう一つの』とある以上、ひとつめの証も存在します。それが聖書です。
聖書は神聖な啓示を載せたヘブライ語文献とキリスト教文献の集成です。
聖書は、聖なる御霊の感化の下に働いた、多くの預言者と霊感を受けた記録者が書き記したものです。
『聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきではないことを、まず第一に知るべきである。
なぜなら、預言は決して人間の意思から出たものではなく、人々が霊感に感じ、神によって語ったものだからである。』
(『ペテロの第二の手紙』第1章20、21節)
モルモン書の歴史
現在わたしたちが『モルモン書』と呼ぶ書物は、ある一人の人物が主の命令によって民の記録を始めたことを起点として造られています。
『わたしニーファイは善い両親から生まれたので、父が学んだすべてのことの中から幾らかの教えを受けた。わたしはこれまでの人生で多くの苦難に遭ったが、生まれてこのかた主の厚い恵みを受け、まことに神の慈しみと奥義を深く知った。そこで、生まれてからこれまでの間に行なってきたことを記録する。
まことにわたしは父の言葉で記録するが、それは、ユダヤ人が学んできたこととエジプト人の言葉から成っている。
ところで、この版について前に述べたように、これはわたしの民の歴史を残らず述べる版では決してない。わたしの民について残らず述べる版には、ニーファイという名をつけておいた。したがって、それはわたしの名にちなんでニーファイの版と呼ぶが、この版もまたニーファイの版と呼ぶ。
…にもかかわらず、わたしは、民に対する務めについての話を刻むという特別な目的のためにこの版を造るように、主から命令を受けた。
さて、主はある賢明な目的のために、わたしにこの版を造るように命じられたが、その目的はわたしには分からない。
しかし、主は初めからすべてのことをご存知である。したがって、人の子らの中で御自身のすべての業を成就するために、ある方法を備えておられる。』
(『ニーファイ第一書』第1章1、2節、第9章2、3節、5、6節)
上に名前が出ましたが、この記録は『ニーファイ』という人物の手によって造られ始めました。
ニーファイはリーハイという人物の四男であり、リーハイはヤコブ(イスラエル)の息子の一人で、きょうだいたちによってエジプトに売られたヨセフの子孫です。
『そして父リーハイは、真鍮の版に自分の先祖の系図も見つけ、それで自分がヨセフの子孫であることを知った。このヨセフとは、ヤコブの子のヨセフであって、エジプトへ売られ、父ヤコブとその家のすべての者が飢饉で死ぬことのないように守るため主の手によって守られたあのヨセフである。』
(『ニーファイ第一書』第5章14節)
彼らは家族でエルサレムに住んでいましたが、ゼデキヤ王の統治が始まった頃に主から啓示を受け、家族でエルサレムを離れます。
彼らがエルサレムを離れた正確な年代を特定するのは難しいかもしれませんが、紀元前約600年頃の事だと推察されます。
リーハイと家族はのちに、主からの啓示によってリーハイの友人であるイシマエルという人物の家族も旅の道連れに加えます。
彼らはさまざまな苦難に遭いながら、『約束の地』へとたどり着きました。
この約束の地が現在、わたしたちがアメリカ大陸と呼ぶ地です。
約束の地での繁栄と衰退
リーハイの息子たちはイシマエルの娘たちをそれぞれ妻にむかえ、イシマエルの息子の家族とともに約束の地で暮らし始めるのですが、リーハイの息子やイシマエルの息子たちの何人かは、主から預言者として召されたリーハイの四男、ニーファイを指導者として認めず、彼の命を狙うようになります。
やがてニーファイに主からの啓示が降り、ニーファイに従う者たちは兄たちから別れ、別の道へと進みます。
リーハイの長男は名を『レーマン』といいました。
現在アメリカ大陸に居住地を構えるネイティブ・アメリカンの人々はこのレーマンの子孫です。
主に最後まで忠実であったニーファイですが、彼の子孫は長い歴史の中でひどい罪悪を犯すようになり、そのために一人残らず滅亡し、それとは対照的に弟ニーファイの命を取ろうとしていたレーマンの子孫が、先祖から続く罪悪を悔い改めて現在でも生き残っています。
ジョセフ・スミスの前に復活して天使となったモロナイが福音の回復を告げるために遣わされましたが、このモロナイこそニーファイ人最後の預言者です。
ニーファイ人とレーマン人
別れて生活するようになったニーファイの民とレーマン人ですが、レーマンたちは子孫に、自分たちがニーファイ人たちから不当な扱いを受けていた、と教え込んだらしく、レーマンたちの子孫はニーファイ人を憎むようになります。
『さて、レーマン人は主についても主の力についてもまったく知らなかったので、自分の力だけを頼みにしていた。しかし、人の力について言えば、彼らは強い民であった。
彼らは野蛮で残忍で、血に飢えた民であって、先祖の言い伝えを信じていた。彼らが信じている言い伝えとは、彼らの先祖はそのまた先祖の罪悪のためにエルサレムの地から追い出されたこと、そして、荒れ野で同胞から不当な扱いを受け、また航海中にも不当に扱われたということである。
そしてまた、海を渡った後も、彼らは最初の受け継ぎの地で不当な扱いを受けたというのであった。しかし、これはすべて、ニーファイが兄たちよりも忠実に主の戒めを守ったためである。そのためニーファイは主の恵みをを受けた。主はニーファイの祈りを聞いて、祈りにこたえられた。そしてニーファイは、荒れ野で彼らの旅を導いたのである。
ところが兄たちは、主の計らいを理解しなかったので、ニーファイに対して腹を立てた。彼らは主に対して心をかたくなにしたので、海の上でも彼に対して腹を立てた。
そしてまた、彼らは約束の地に着いてからも、ニーファイが民を治める権限を自分たちから奪ったと言って彼に対して腹を立て、彼を殺そうとした。
そしてまた、ニーファイが主に命じられるままに荒れ野へ出て行き、しかも真鍮の版に刻まれた記録を持って行ったので、彼らはニーファイがその記録を自分たちから盗んだと言って、彼に対して腹を立てた。
このようにして、彼らは子供たちに、ニーファイの子孫を憎むように、また彼らを殺すように、彼らから盗み、略奪し、彼らを滅ぼすためにできるかぎりのことをするように教えた。 そのためにレーマン人は、ニーファイの子孫に対して、尽きることのない憎しみを抱いている。
(『モーサヤ書』第10章11節〜17節)
いくつか注釈を加えますと、上に出てくる『真鍮の版』というものは、ニーファイが主に命じられて造った版とは別のものです。
彼らは旅に出たのち、一度エルサレムに戻って先祖の記録が載っている版を入手するようにと主から命じられました。
このときニーファイが手に入れたのがこの『真鍮の版』です。
これにはアダムから当時(紀元前約600年頃)までの預言者たちの言葉、モーセ五書、ユダヤ人の記録、そして保有者であったラバンの先祖の記録が記されていました。
『二人でイスラエルの神に感謝をささげてから、父リーハイは真鍮の版に刻まれた記録を手に取り、最初から調べてみた。
父が見ると、その中には、世界の創造とわたしたちの最初の先祖であるアダムとエバの話を載せた、モーセの五書があった。
また、世の初めからユダの王ゼデキヤの統治の初めに至るユダヤ人の記録もあり、
また、世の初めからゼデキヤの統治の初めに至る聖なる預言者たちの預言や、そのほか、エレミヤの口を通して語られた多くの予言も載せてあった。
そして父リーハイは、真鍮の版に自分の先祖の系図も見つけ、それで自分がヨセフの子孫であることを知った。このヨセフとは、ヤコブの子のヨセフであって、エジプトへ売られ、父ヤコブとその家のすべての者が飢饉で死ぬことのないように守るため主の手によって守られたあのヨセフである。
彼らは自分たちを守ってくださったあの同じ神によって、囚われの身から救い出され、エジプトの地から導き出されたのである。
このようにして、父リーハイは自分の先祖の系図を見つけた。ラバンもまたヨセフの子孫であったので、ラバンとその先祖がこの記録を書き記しておいたのである。』
(『ニーファイ第一書』第5章10節〜16節)
もうひとつ、ニーファイの記録を読むと繰り返し記録されているのが、兄たちとニーファイの関係です。
エルサレムを出てきたとき、リーハイの息子は上からレーマン、レムエル、サム、ニーファイの四人でした。旅の中でさらに二人の息子が生まれるのですが、レーマンとレムエルはイシマエルの息子たちと結託して、ニーファイに辛く当たります。
これはニーファイが弟だから、というのが理由なのですが、もしかしたら当時ニーファイがかなり年若かったのではないか、ということも考えられます。
旅に出たとき、リーハイの息子たちは皆独身でした。
また、リーハイは『ニーファイ第一書』のなかで、エルサレムでもそれなりに裕福な生活をしていたのではないかと考えられる記述があります。
聖書の時代のイスラエル人男性の結婚適齢は家族を養っていくことができる18歳程度だったと考えられていますが、もしこれに長男のレーマンを当てはめて考えると、ニーファイの年齢は当時14、5歳か、もしかするとさらに若かった可能性があります。
リーハイには六人の息子と、複数の娘もいたと記されています。旅の途中で生まれた二人を除く男児が年子で生まれたのかも知れませんが、あいだに娘がいたことも考えられます。
まだ一人前の男性として社会の中で認められない年齢のニーファイが兄たちを導くため、主の啓示を受けたり、真鍮の版からの言葉を引用してさまざまな意見をのべたために、兄たちはニーファイを疎んじたのかも知れません。
リーハイの子孫たちの歴史
ニーファイが主に命じられて造った版は、真鍮の版とともにニーファイの弟ヤコブに受け継がれました。
ヤコブもまた預言者として主から召され、生涯正しいことを行いました。
ヤコブは亡くなる前に版を息子であるエノスに託しました。
このように、ニーファイが造った版と真鍮の版は子々孫々へと受け継がれることとなりました。
ニーファイの子孫には何人もの預言者が存在しましたが、そうではない者もいました。
版の記録者の中には、神の前に正しい人生を送らなかったと告白する者もいました。
ですが、この版を託された者たちはその父や兄弟から、『版が同胞であるレーマン人たちの益になる』ことを教えられ、知っていました。
ニーファイがすでに世を去り、子孫たちは約束の地で数多くの街を作るほどに増え広まりましたが、それはレーマン人も同じでした。
レーマン人はニーファイ人に対して幾度となく攻撃を仕掛けてきたと記されていますが、同時に記録者は『将来レーマン人が神に立ち返る』と知っていたのです。
『さて見よ、わたしエノスは、父が正しい人であったことを知っている。父はわたしを父の言葉で、また主の薫陶と訓戒によって教えてくれたからである。神の御名がほめたたえられるように。
わたしは、罪の赦しを受けるに先立って神の前で味わった苦闘について、あなたがたに述べよう。
見よ、わたしは森で獣を狩ろうとして出かけた。かつてわたしは、父が永遠の命と聖徒たちの喜びについて語るのを度々聞いていたのだが、その父の言葉が、そのときになってわたしの心に深くしみ込んできた。
すると、わたしの霊は飢えを感じた。それで、わたしは造り主の前にひざまずき、自分自身のために熱烈な祈りと懇願をもって造り主に叫び求めた。わたしは一日中造り主に叫び求めた。また夜になっても、声が天に届くように、まだ大きな声を上げていた。
すると、わたしに声が聞こえた。「エノスよ、あなたの罪は赦された。あなたは祝福を受けるであろう。」
わたしエノスは、神は偽りを言われるはずがないので、わたしの罪がすでに拭い去られたのを知った。
それでわたしは、「主よ、それはどうしてですか」と尋ねた。
そこで、主はわたしに言われた。「あなたが、これまでに声を聞いたことも見たこともないキリストを信じているからである。多くの歳月が過ぎた後、キリストは肉にあって自分自身を現すであろう。それゆえ、行きなさい。あなたの信仰があなたを罪のない者としたのである。」
さて、この御言葉を聞いたとき、同胞であるニーファイ人の幸いを願う気持ちがわいてきた。それでわたしは、彼らのためにわたしの心のすべてを神に注ぎ出した。
わたしがこのように心を込めて祈っていると、見よ、再び主の声がわたしの思いに告げて、次のように言われた。「わたしはあなたの同胞を、わたしの戒めを守る勤勉さに応じて訪れよう。わたしは彼らにこの地を与えた。この地は聖なる地である。罪悪のゆえでなければ、わたしはこれをのろわない。それゆえ、わたしはすでに述べたように、あなたの同胞を訪れよう。また、彼らの背きに対しては、彼ら自身の頭に悲しみを下そう。」
わたしエノスは、この御言葉を聞くと、主を信じる信仰が揺るぎないものになってきた。そして、私の同胞、すなわちレーマン人のために、何度も長い時間熱烈に主に祈った。
そして、わたしが祈り、力の限り努力した後に、主はわたしに、「あなたの信仰のゆえに、わたしはあなたの願いを望みどおりに聞き届けよう」と言われた。
さて見よ、わたしが主に望んだこととは、わたしの民のニーファイ人が戒めに背くようになって、何らかの方法で滅ぼされてしまっても、レーマン人が滅ぼされなければ、主なる神が聖なる腕の力によってでもわたしの民ニーファイ人の記録を残し、それが将来いつかレーマン人に伝えられて、彼らが救いにあずかれるようにしていただくことであった。』
(『エノス書』第1章1節〜13節)
リーハイ一行がエルサレムを出て200年以上経過した頃、ニーファイ人の中にも悪を行う者が増え続け、中にはモーセの律法に従うことに背を向けてレーマン人に合流する者もいたようです。
ニーファイ人とレーマン人は長い歴史の中で幾度となく戦争を繰り返します。
そして、キリスト降誕の直前、レーマン人は福音を受け入れ、ニーファイ人よりも義にかなった民となりました。
『さて見よ、彼(注:サタン)は、すでにニーファイ人の心を大いに支配しており、そのために、彼らは非常に邪悪になっていた。彼らの大半はすでに義の道を離れており、神の戒めを足の下に踏みつけ、自分勝手な道に向かい、自分のために金と銀で偶像を造っていた。
…このことから分かるように、ニーファイ人は不信仰に陥って、ますます悪事と忌まわしい行いをするようになった。一方レーマン人は、神をますます深く知るようになった。まことに、彼らは神の掟と戒めを守り、神の前を真理にかなってまっすぐに歩み始めたのであった。
またこのことから、ニーファイ人の心が邪悪でかたくなであったので、主の御霊が彼らから去り始めたことが分かる。
またこのことから、レーマン人が主の言葉を容易に喜んで信じたので、主が彼らに主の御霊を注ぎ始められたことも分かる。』
(『ヒラマン書』第6章31節、34節〜36節)
キリストは復活したのちに約束の地に住むリーハイの子孫たちにも御姿を現し彼らを導きますが、それから約200年後、レーマン人とニーファイ人はともに邪悪な民となり、互いに争うようになりました。
そして紀元400年頃、レーマン人はニーファイ人の国家を完全に滅ぼしました。
このことは、彼らの父祖であるニーファイに啓示として現されていました。
『主なる神はわたしに言われた。「彼ら(注:レーマン人)はあなたの子孫にわたしのことを思い起こさせるため、あなたの子孫にとって鞭となるであろう。そして、あなたの子孫がわたしを覚えて、わたしの言葉に聞き従わなければ、彼らはあなたの子孫を、滅びに至るまで鞭打つであろう。」』
(『ニーファイ第二書』第5章25節)
聖書と対を成す書物
『モルモン書』は人の手によって書き換えられることのなかった純粋な神の言葉が記されています。
この書物を記した人々は皆、これが将来自分たちの子孫に伝わり、キリストの福音が完全な形で知らされることを啓示によって、あるいは先祖の記録によって知っていました。
ご存知の通り、『聖書』は幾度か複数の人の手によって編纂がなされ、大切な部分が書き換えられたり省かれたりしています。
そのため、聖書だけを読んで理解しようとしても混乱することが多くあります。
以前お話しした『聖霊』という語が旧約聖書から抹消されたこともその一つです。
わたし個人もこの教会に入会する以前から聖書はひととおり読んでいましたが、聖書にある記述とカソリック、プロテスタントの教えに乖離があり、どうしても腑に落ちない部分がいくつもありました。
モルモン書、さらに『教義と聖約』、『高価な真珠』を読むことで、それらの受け入れにくいと感じていた部分が氷解しました。
わたしのような形で改宗を経験した人でしたらこの点については同意していただけるのではないかと思います。
聖書が書き換えられることはモルモン書に預言されています。
『さて、わたしは兄たちの子孫の残りの者を見、また神の子羊の書を見て、それがユダヤ人の口から出て来て、異邦人から兄たちの子孫の残りの者にもたらされるのを見た。
その書物が彼らに伝わってから、わたしはほかにもいくつかの書物を見た。それらは子羊の力によって異邦人から彼らに伝わったものであって、預言者たちと子羊の十二使徒の記録が真実であることを、異邦人と兄たちの子孫の残りの者と、地の面に散らされたユダヤ人に確信させるためのものである。
天使はわたしに言った。「あなたが異邦人の中で見たそれらの後の方の記録は、子羊の十二使徒から出た初めの記録が真実であることを立証し、またその中から取り去られたわかりやすくて貴い部分を明らかにする。またそれらの記録は、神の子羊が永遠の御父の御子であって、世の救い主であられること、すべての人はこの救い主のみもとに来なければならず、そうしなければ救われないことを、すべての部族、国語の民、民族に知らせる。』
(『ニーファイ第一書』第13章38節〜40節)
上の聖句にあるように、『後の方の記録』すなわちモルモン書は、『子羊の十二使徒から出た初めの記録』である聖書が真実であることを立証し、聖書の中から取り去られた分かりやすくて貴い部分を明らかにします。
正統派クリスチャンの方からすると、いわゆる異端の教えに耳を傾けることはできないかも知れませんが、モルモン書に記されている内容と歴史的な事実とが一致していると数多く立証されています。
もはや、ジョセフ・スミスの妄想を記した書物などという低レベルな反論は受け入れる余地がありません。
さいごに
モルモン書が世にでた当時、教会員たちは印刷された真新しいモルモン書を手に宣教を始めましたが、ほとんど受け入れてはもらえませんでした。
多くの人が、『聖書はすでにある」と言って拒んだのです。
それから約200年経った現在でも同じでしょう。
『そして、わたしの言葉が響き渡るので、多くの異邦人は、「聖書か、聖書か。我々はすでに聖書を持っている。これ以外に聖書があるはずがない」と言う。
しかし、主なる神はこう言われる。「おお、愚かな者よ、彼らは聖書を持つが、それは昔わたしが聖約を交わした民、ユダヤ人から出るものである。彼らはユダヤ人から得る聖書について、ユダヤ人にどのように感謝しているか。まことに、異邦人はどういうつもりか。彼らはユダヤ人が負った労苦と労力、骨折り、また自分たちに救いを得させることになったユダヤ人の、わたしに対する努力を思い起こしているか。
おお、異邦人よ、あなたがたは、昔わたしが聖約を交わした民、ユダヤ人を覚えていたか。いや、逆にあなたがたは彼らをのろい、憎み、彼らを元の状態に戻そうとはしなかった。しかし見よ、主なるわたしはわたしの民を忘れたことはないので、これら全てのことの責めをあなたがた自身の頭に求める。
『聖書か。我々はすでに聖書を持っている。だから、ほかに聖書は必要ない』と言う者よ、あなたがたは愚か者である。あなたがたはユダヤ人によらず聖書を手に入れたか。
あなたがたは、国民は数多くあることを知らないのか。主であり、あなたがたの神であるわたしがすべての人を造ったこと、またわたしが、海の島々にいる者たちを覚えていることを知らないのか。またわたしが上は天で治め、下は地で治めていること、そしてわたしの言葉を人の子ら、すなわち地の全ての国民にもたらすことを知らないのか。
さて、なぜあなたがたは、わたしの言葉がもっと多く与えられるからと言ってつぶやくのか。二つの国民の証が、わたしが神であることと、一つの国民をもう一つの国民と同じように覚えていることの、あなたがたへの証拠となることを知らないのか。わたしは一つの国民に語るのと同じ言葉を別の国民にも語る。そして、その二つの国民が合わせられるとき、二つの国民の証も合わせられるのである。
わたしがこれを行うのは、わたしが昨日も、今日も、またとこしえに変わらないことと、わたし自身の望むままにわたしの言葉を語ると言うことを、多くの人に証明するためである。したがってわたしが一言語ったので、もう一言も語れないと思ってはならない。わたしの業はまだ終わっていないからである。わたしの業は人の存在が尽きるまで終わらないし、その後とこしえに終わりがないのである。
それゆえ、聖書を持っているからといって、わたしの言葉が全てそこに含まれていると思ってはならない。また、わたしがもっと大切なことを書き記させなかったと思ってもならない。』
(『ニーファイ第二書』第29章3節〜10節)
聖典と呼ばれるものはこの世において聖書だけではありません。
わたしたち末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にはモルモン書、教義と聖約、高価な真珠が与えられていますが、これで全てではありません。
主なる神は、世界中の忠実な民に少しずつ、御心を示したからです。
それらの記録がいつ世に出るのかは分かりませんが、ふさわしい時がくれば現されるでしょう。
今回はここまでにしましょう。
聴いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
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