導入
みなさんこんばんは、かいです!
聴いてくださっているみなさんに感謝しています。
ありがとうございます。
さて、今回は『使徒』についてお話しします。
今回も聖典、教会の出版物を参照しています。
使徒とは
使徒に相当するギリシャ語には「遣わされた者」の意味があります。
イエスが地上で勤めを果たしておられたとき、最も身近な弟子となり助け手となるように選び聖任された十二人の人々に、ご自身でお与えになった呼び名です。
『夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。
すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、
マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと、熱心党と呼ばれたシモン、
ヤコブの子ユダ、それからイスカリオテのユダ。このユダが裏切り者となったのである。』
(『ルカによる福音書』第6章13節〜16節)
『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えてくださるためである。』
(『ヨハネによる福音書』第15章16節)
何のために召されたのか
イエスが地上でおられたとき、聖書にもありますように数多くの弟子たちがいました。
イエスの教えを聞きたいと望む者や、肉体の癒しを受けたいと切望する人々は一定してはいなかったものの、少なくみても一万人を超えていた時もありました。
数多くの群衆の中で、イエスは十二人を選び、神権を授け、神権の鍵を授け、御自身が昇天されたのち御自身の代理人として、御自身に代わって務めを果たさせるために彼らを世界中に遣わされました。
イエスの教えに従い生活する人を『イエスの弟子』と呼びますが、中でも新約聖書では使徒を指して弟子と呼ぶ場合があります。
『そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。
十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。』
(『マタイによる福音書』第10章1節〜4節)
モルモン書には約束の地で暮らしていたイスラエルの一族の人々のことが記されていますが、主が復活したのち、彼らを訪れ、教会の指導者として選んだ十二人の人々を指して弟子と呼ぶ場合もあります。
『さて、イエスが天に昇って行かれると、群衆は解散し、男たちは各々妻子を連れて家に帰った。
そして、群衆がイエスにお会いしたことと、イエスが彼らを教え導かれたことと、イエスが翌日も群衆に御自身を現されることが、暗くなる前に、すぐに民の中に広く告げ知らされた。
まことに、一晩中イエスのことが広く告げ知らされた。そして彼らは、民に使いを出して、多くの者、まことに非常に大勢の者が一晩中大いに働き、イエスが群衆に御自身を表される場所に、翌日人々が集まることができるようにした。
そしてその翌日、群衆が集まったときに、見よ、ニーファイと、ニーファイが死者の中からよみがえらせた彼の兄弟テモテと、ヨナという名のニーファイの息子と、マソーナイと、その兄弟マソーナイハと、クメンと、クメノンハイと、エレミヤと、シェムノンと、ヨナと、ゼデキヤと、イザヤ、以上はイエスが選ばれた弟子たちの名であるが、さて、彼らは進み出ると、群衆の中に立った。』
(『ニーファイ第三書』第19章1節〜4節)
死を制された弟子たち
彼らもまた使徒たちと同じく、民衆を教え、バプテスマを施し、イエスを証しました。
約束の地で召された十二人のうち三人は、黙示録を記したヨハネと同様、死を味わうことなく現在でもどこかで生きています。
『さて、イエスはこれらの御言葉を語り終えると、御自分の弟子たち一人一人に、「わたしが父のみもとに行った後、あなたがたはわたしに何を願うか」と言われた。
すると弟子たちは、三人を除いて皆、「わたしたちは人の寿命まで生き長らえたら、あなたから召されたわたしたちの務めを終え、速やかにあなたの王国であなたのみもとに行けるように願っています」と答えた。
そこで、イエスは彼らに、「あなたがたは、わたしにこのことを願ったので、幸いである。あなたがたは七十二歳になると、わたしの王国でわたしのもとに来て、わたしとともに安息を得るであろう」と言われた。
イエスは彼らに語り終えると、三人の方を向き、「わたしが父のみもとに行ったら、あなたがたはわたしに何をしてもらいたいか」と言われた。
すると彼らは、自分たちの望んでいる事をイエスに思い切って言えなかったので、心の中でつらく思っていた。
するとイエスは、彼らに言われた。「見よ、わたしはあなたがたの思いを知っている。あなたがたは、愛するヨハネがわたしに願ったことを願っている。ヨハネとは、わたしがユダヤ人によって上げられる前に、わたしとともに務めに携わっていた者である。
したがって、あなたがたはさらに幸いである。あなたがたは決して死を味わうことがない。わたしが天の力をもってわたしの栄光のうちに来るときまで、すなわち父の御心のとおりにすべてのことが成就するそのときまで、あなたがたは生き長らえて、父が人の子らのために行われるすべてのことを見るであろう。
また、あなたがたは決して死の苦しみを受けることなく、わたしがわたしの栄光のうちに来るとき、一瞬のうちに死すべき状態から不死の状態に変えられる。その後、あなたがたは父の王国で祝福を受けるであろう。
またあなたがたは、肉体に宿っている間、苦しみを感じることなく、また世の罪に対する以外に悲しみを感じることもない。わたしがすべてこのように行うのは、あなたがたがわたしに願ったためである。あなたがたは世界が存在する間、人々をわたしのもとに導きたいと願ったからである。
このために、あなたがたは満ち満ちる喜びを得、父の王国で座に着くであろう。父が満ち満ちる喜びをわたしに与えてくださったように、まことに、あなたがたの喜びは満ちるであろう。そして、あなたがたはわたしのようになる。わたしは父のようであり、父とわたしは一つである。』
(『ニーファイ第三書』第28章3節〜10節)
イエスによって聖任された十二人の弟子たちは民を癒し、教え、そして神から祝福されたニーファイの民は急速に増えました。
ですが200年ほどが経過すると、民の中に高慢になる者が現れ始めます。彼らはかつてユダヤ人がイエスにそうしたように、死を制された三人の弟子たちを何度も殺そうとしました。
さらに約100年が経過した頃、すべての民が悪くなっており、悪事が全地の面に広がりました。
そして主は三人の弟子たちを『よそに連れ去ってしまわれた』と記されています。
この三人は人々を導く役目があるので、天に上げられたのではないと思われます。
また、彼らは異邦人の中にも、ユダヤ人の中にも行くと記されています。
特別な役目
使徒たちは、昔においても回復された現代の教会の十二使徒定員会においても、イエス・キリストの神性と死者の中からの復活を証する、全世界への特別な証人です。
『すなわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、私たちに加わって主の復活の証人にならねばならない。』
(『使徒行伝』第1章22節)
『十二人の巡回評議員は召されて、十二使徒、すなわち全世界におけるキリストの名の特別な証人となる。このように彼らは、その召しの義務が教会における他の役員とは違っている。』
(『教義と聖約』第107章23節)
またキリストの教会は使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられます。
『またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。』
(『エペソ人への手紙』第2章20節)
『そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。』
(『エペソ人への手紙』第4章11節)
教会が回復されたのち、十二使徒の召しと使命が明らかにされました。
『さて見よ、わたしの福音を異邦人とユダヤ人の両方に告げ知らせるために召される人々がほかにいる。
すなわち、十二人いる。この十二人はわたしの弟子となり、彼らはわたしの名を受けるであろう。この十二人は、十分に固い決意をもってわたしの名を受けたいと願う人々である。
そして、彼らが十分に硬い決意をもってわたしの名を受けたいと願うならば、彼らは全世界に出て行って、すべての造られたものにわたしに福音を宣べ伝えるために召される。
また彼らは、記されているとおりに、わたしの名によってバプテスマを施すために、わたしから聖任を受ける人々である。
あなたがたの前には記されているものがある。それゆえ、あなたがたは、記されている言葉のとおりにそれを執り行わなければならない。
さて、わたしはあなたがた十二人に語る。見よ、わたしの恵みはあなたがたに対して十分である。あなたがたはわたしの前をまっすぐに歩まなければならず、罪を犯してはならない。
また見よ、あなたがたは、祭司と教師を聖任するためにわたしから聖任を受ける人々である。あなたがたの内にある聖霊の力により、また人々に授けられる神の召しと賜物に応じて、わたしの福音を告げ知らせるために、聖任を受ける人々である。
わたし、すなわち、あなたがたの主でありあなたがたの神である、イエス・キリストがこれを語った。
これらの言葉は人々から、人間から出ているのではなく、わたしから出ているのである。それゆえ、あなたがたは、これらの言葉がわたしから出ているものであって、人間から出ているものではないことを証しなければならない。
これらの言葉をあなたがたに語っているのは、わたしの声である。これらの言葉は、わたしの御霊によってあなたがたに与えられているからである。そして、わたしの力によって、あなたがたはこれらの言葉を互いに読み合うことができる。わたしの力によらなければ、あなたがたはこれらの言葉を得ることはできない。
そのために、あなたがたは、わたしの声を聞いたこと、そしてわたしの言葉を知っていることを証できるのである。』
(『教義と聖約』第18章26節〜36節)
一度使徒は絶えた
イエスが十字架にあげられる前、イスカリオテのユダは主を裏切り、自ら命を絶ちました。彼に代わってだれかひとりを使徒に任じる必要があり、祈ったのちにくじによってマッテヤという人物が選ばれました。
これによって使徒は再び十二人となり、彼らは全世界へ伝道の旅に出ます。
当時の使徒たちはそのほとんどが殉教し、現在生き残っているのは黙示録を記したヨハネだけです。
本来は欠員を補うために新しい使徒を選ぶとき、全員が集まって主に尋ねていました。
ですが彼らは世界中に広がって伝道していたため、ひとり減りふたり減り、ついには欠員を補うために主に尋ねることもできなくなったのです。
こうして十二使徒は一度途絶えました。
回復された教会では使徒職は終身制となっていますが、黙示者ヨハネが現在でも使徒職なのかどうかはわかりません。
使徒職の回復
1830年4月、ジョセフ・スミスを通して教会の組織と管理に関する啓示が与えられました。
預言者ジョセフ・スミスはこの啓示を記録するに先立ち、次のように記しています。
「わたしたちは預言と啓示の霊によって、イエス・キリストから次の啓示を受けた。わたしたちはこれによって多くの知識を得ただけでなく、主の御心と命令に従って、この地上にもう一度主の教会を組織し始めるべき具体的な日取りも指示された。」
(『教会歴史』第一巻、六十四ページ)
『この終わりの時におけるキリストの教会の起こり。それは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストが肉体を取って来られてから千八百三十年であって、第四の月、四月と呼ばれる月の第六日に、神の御心と命令により、わが国の法律にかなって正式に組織、設立された。
この命令は、神から召されて、イエス・キリストの使徒に聖任され、この教会の第一の長老となったジョセフ・スミス・ジュニアと、
また、イエス・キリストの使徒となり、この教会の第二の長老となるために神から召され、ジョセフ・スミス・ジュニアの手の下で聖任されたオリバー・カウドリに与えられた。』
(『教義と聖約』第20章1節〜3節)
これと日時は前後しますが、1829年6月、主は使徒を探しだすように命じられました。
『さて見よ、わたしはあなたオリバー・カウドリと、またデビッド・ホイットマーに、わたしが語ったような願いを持つ十二人を探し出す務めを与える。
あなたがたは、彼らの願いと行いによって彼らを見分けるであろう。
あなたがたは彼らを見いだしたら、これらのことを彼らに知らせなければならない。』
(『教義と聖約』第18章37節〜39節)
この後も使徒の職にあずかる者たちは、主の定められた方法で決定されています。
現在では使徒は終身制であり、定員会の誰かが亡くなった時、新たに会員の中から選ばれます。
さいごに
使徒もまたキリストの教会とともに回復されました。
使徒たちはイエス・キリストが死者の中から復活を果たし、現在でも生きておられることを世界に向けて証しています。
また教会員を強め、全世界に向けての伝道活動を管理します。
『十二使徒は、遣わされ、鍵を持ち、イエス・キリストの福音を宣言することによって門を開く。これは、まず異邦人に、次いでユダヤ人に行われる。』
(『教義と聖約』第107章35節)
使徒たちは末日聖徒イエス・キリスト教会に属していますが、伝道の対象は全世界です。
世界中の人々にイエスがキリストであることを宣言し、また証します。
今回はここまでにしましょう。
聴いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
コメント