導入
みなさんこんばんは、かいです!
新しい年が始まりましたね。
昨年はさまざまな混乱によって世が乱されました。
この混乱が収束する日がいつなのかは分かりませんが、新しい年も希望を保ち続けて生活したいですね。
今回も聞いてくださっているみなさんに感謝します。
ありがとうございます。
前回のお話の中で、モーセによって『イスラエルの集合と北の地からの十部族の導きの鍵』をゆだねられた神権者のひとりであるオリバー・カウドリ氏が教会から破門されたことに少し触れました。
初期の教会の苦難
1830年代後半は、初期の聖徒たちにとって苦しい時期でした。
新しく作られた教会に対する反対は日々大きくなり、敵対する人々は増え続けました。
そんな中ジョセフ・スミスと顧問たちはカートランドにおいて新しい事業を計画しました。
教会の財政問題を解決したいと常々思っていたためです。
それは、『カートランド安全協会』という、小規模の銀行でした。
借り手に貸付を行い、人々が土地や物資を購入できるようにすることで、地元の経済発展を助長しようとしました。
ですが、教会に反対する人々は協力して安全教会の銀行券を大量に買い集め、その札束を安全教会の事務所に持ち込み、全額を現金化するように求めました。そして、それができない場合、訴えると脅しました。
この時、安全協会は30人以上の株主を獲得していましたが、支払いに必要なだけの十分な正貨を持っている株主はほとんどいませんでした。
そして反対者は、相当数の人が銀行券を金貨や銀貨に換金するなら、安全教会の事業が破綻すると踏んだのです。
さらに地元の新聞社が、安全教会の正当性に疑問を投げかける記事を掲載しました。
さまざまな問題が持ち上がり、ジョセフ・スミスを預言者として信じていた聖徒たちの中にも不安が広がり、先を見通せなかったということでジョセフを批判しはじめます。
当時、アメリカ合衆国だけではなくイギリスにおいても金融恐慌によって銀行は弱体化していました。
各銀行は負債を抱え、貸付を全面的に停止する銀行も出てきました。
銀行の閉鎖に伴って経済恐慌が街から街へと広がり、事業の破綻や失業者が急増します。
結果、ジョセフ・スミスは大量の負債を抱えることとなり、やがてはかつて強い証を持っていたはずの初期の会員たちは何人もが預言者に敵対しました。
前述のオリバー・カウドリ氏もそのひとりです。
オリバー・カウドリ氏は天使モロナイによって金版を見せられた『三人の証人』のうちのひとりであり、教会の第二の長老です。
彼が強い証を失っていたのかどうかは今や不明ですが、結果として彼は教会における自身の会員権を放棄しました。
そして、教会のビショップと顧問は彼を破門にする決断をしました。
小麦と毒麦のたとえ
主は人々に重要な事柄を教えるとき、たとえを使って話しました。
その中のひとつに『小麦と毒麦』というたとえがあります。
『また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
僕たちがきて、家の主人に言った、「ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか」。
主人は言った、「それは敵のしわざだ」。すると僕たちが言った「では行って、それを抜き集めましょうか」。
彼は言った、「いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかもしれない。
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう」。』
(『マタイによる福音書』第13章24〜30節)
この毒麦のたとえについて、主は現代の啓示の中でその意味を明らかにされました。
『まことに、主は、小麦と毒麦のたとえについて、わたしの僕であるあなたがたにこのように言う。
見よ、まことに、わたしは言う。畑は世界であり、使徒たちは種をまく者であった。
彼らが眠った後、教会のひどい迫害者、背教者、淫婦、すなわちバビロンが現れる。このバビロンはすべての国民に自分の杯から飲ませる。そして彼らの心の中に、敵、すなわちサタンが座して支配する。見よ、彼が毒麦をまく。それゆえ、毒麦は小麦の生長を妨げて、教会を荒れ野に追いやる。
しかし見よ、終わりの時に、すなわち主が御言葉をもたらし始め、葉が生え出てまだ柔らかい、まさに今、
見よ、まことに、わたしはあなたがたに言うが、畑を刈り入れるために遣わされる準備をして待っている天使たちは、日夜、主に叫び求めている。
しかし、主は彼らに言う。小麦も損なうといけないので、葉がまだ柔らかい間は毒麦を抜き取ってはならない。(まことに、あなたがたの信仰が弱いからである。)
それゆえ、作物が十分に熟すまで、小麦と毒麦をともに育つままにしておきなさい。その後、あなたがたはまず毒麦の中から小麦を集めなければならない。小麦を集めた後、見よ、見よ、毒麦は束にされ、畑は焼かれるばかりである。』
(『教義と聖約』第86章1〜7節)
この啓示の中で言われる『使徒たち』はイエスとともに働いた最初の十二使徒のことです。彼らが眠った後、すなわち亡くなったのちにバビロンが現れるということです。
『教会を荒れ野に追いやる』とは主の正しい教えを曲げて解釈し、多くの国民に広めた大背教を指しています。
また現代の啓示では、小麦と毒麦の集められる順番が逆になっていることがわかります。
マタイによる福音書では、はじめに毒麦を集めるように書かれていますが、現代の啓示でははじめに小麦、すなわち正しい人々が集められます。
これを裏付ける啓示は聖典の中にいくつか出てきます。
『見よ、畑はすでに白くなり刈り入れを待っている。それゆえ、だれでも借り入れをしたいと望む者は、永遠の救いが神の王国で自分のために蓄えられるように、勢力を尽くして鎌を入れ、日のあるうちに刈り取りなさい。』
(『教義と聖約』第6章3節)
『畑』はこの世を表しています。『白く』なっているという表現は、この啓示が与えられた時代背景などを考慮した時、穂がいっぱいに実った小麦が日の光を反射した情景を描写したものかもしれません。
刈り入れを待つそれらの穀物、つまり小麦は正しい行いと正しい信仰を保ち続けた人々を指しています。
そして、この刈り入れの時はもう始まっていると思われます。
『主に従わない人々が従う人々から切り離される時が来ています。』
(『リアホナ』2020年4月号 ラッセル・M・ネルソン『教会の将来:救い主の再臨に世を備える』より抜粋)
さいごに
サタンによってまかれた毒麦は、小麦とともに育ち、小麦のふりをしています。
ですが、ネルソン大管長の記事にもあるように、刈り払いの時はもう遠くないようです。
わたしたちはそのことを強く意識する必要があるのかもしれません。
今回はここまでにします。
聴いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
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