導入
みなさんこんばんは、かいです。
聞いてくれている皆さんの時間を今、分けてくださっていることに心から感謝しています。
ありがとうございます。
今回はわたしたちの教会の聖典のひとつである『モルモン書』についてお話しします。
この聖典の名称から、教会はかつて『モルモン教会』と呼ばれていたことがありました。
ですが、そもそもの教会の名称は主から与えられた『末日聖徒イエス・キリスト教会』です。
それは教義と聖約の中にも明記されています。
『また、シオンにおけるわたしの教会の高等評議会(これからこのように呼ばれる)に属するわたしの忠実な僕たち、および全世界に散在しているわたしの末日聖徒イエス・キリスト教会のすべての長老たちと人々に言う。わたしの教会は、終わりの時にこのように、すなわち末日聖徒イエス・キリスト教会と呼ばれなければならない。』
(『教義と聖約』第115章3、4節)
これは1838年4月26日、ミズーリ州ファーウェストにおいて、ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示で、教会の管理役員たちにあてたものです。
聖典のひとつ『モルモン書』
モルモン書は末日聖徒イエス・キリスト教会にとって聖典として受け入れられている四巻の聖典のひとつです。
現在でいうアメリカ大陸に住んでいた昔の民の記録を、モルモンという名の人物が要約した書物です。
この書物は古代の世界から約束の地(アメリカ大陸)へと渡った民の宗教上、また民族的な記録であり、何よりナザレのイエスがキリストであることのもうひとつの証でもあります。
モルモン書をキリストについての『もうひとつの証』と呼ぶように、わたしたちはモルモン書をそれだけで完結した聖典だとは考えていません。
聖書とモルモン書は一つに合わされることで本来の意味を成します。
『旧約聖書』のエゼキエル書から引用します。
『主の言葉がわたしに臨んだ。
「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。
これはエフライムの木である。
あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。
あなたの民の人々があなたに向かって、『これはなんのことであるか、われわれに示してくれないか』と言う時には、これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。
これらはわたしの手で一つとなる。
あなたが文字を書いた木が、彼らの目の前で、あなたの手にあるとき、』
(『エゼキエル書』第37章15節〜20節)
『ユダの木』とは言わずもがな、ユダヤ人たちによって作られた聖書を指します。
そして『ヨセフの木、あるいはエフライムの木』はエジプトに売られたヨセフの子孫であり、モルモン書に登場するリーハイとその子孫によって作られた書物、すなわちモルモン書を指します。
モルモン書は、紀元前約600年頃に主の啓示を受けたリーハイという男性とその家族が、エルサレムを出て荒れ野を旅し、大海を渡って約束の地、つまり現代でいうアメリカ大陸に上陸し、そこで繁栄と衰退を繰り返したことが記されています。
リーハイ一行の他にも、大きく分けて二つの民族が同じように主に導かれ、アメリカ大陸に入植したことが記録されています。
彼らは連合、離別を幾度となく繰り返し、最終的に紀元約420年前後でその殆どが死滅しました。
原因は民族同士の戦争と争いによるものです。
リーハイの子孫にあたるモロナイという人物が、紀元約421年に最後の記録と編纂を終え、実に約1000年にわたる民族の記録と主の御言葉が載せられた金属の版を、当時クモラと呼ばれていた地に埋めました。
このモロナイこそ、約1400年後の1823年に天使としてジョセフ・スミスの前に姿を現した人物です。
そしてそれから更に数年後、モロナイが主に託して地に埋めた金属の版は、神聖な品々とともにジョセフ・スミスの手に渡りました。
これを預言した聖文があります。
『イザヤ書』から引用します。
『その時あなたは深い地の中から物言い、低いちりの中から言葉を出す。
あなたの声は亡霊の声のように地から出、あなたの言葉はちりの中から、さえずるようである。』(『イザヤ書』第29章4節)
他の羊たち
ヨハネによる福音書の中で、主は弟子たちに『導かなければならない他の者たち』が存在することを明かしています。
『わたしにはまた、この囲いにいない他の羊たちがある。
わたしは彼らをも導かねばならない。
彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。
そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼いとなるであろう。』
(『ヨハネによる福音書』第10章16節)
そして、この『他の羊たち』の一部がエルサレムを出て約束の地に渡った者たちであることを、主が明かしたとモルモン書に記録されています。
『ニーファイ第三書』より引用します。
『彼らに告げるようにと、父がわたしに命じたことはただ、「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らもわたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、一人の羊飼いとなるであろう」ということだけである。
ところが、彼らは強情であり、不信仰であったので、わたしの言葉を理解しなかった。
そこで、このことについてそれ以上彼らに言わないように、わたしは父から命じられた。
しかしまことに、わたしはあなたがたに言う。
父から命じられたので、わたしはあなたがたに告げる。彼らが罪悪を犯したために、あなたがたは彼らから分けられた。
だから、彼らがあなたがたのことを知らないのは、彼らの罪悪のためである。
まことに、もう一度あなたがたに言う。
父はほかにも彼らから幾つかの部族を分けられた。
彼らがそれらの部族のことを知らないのは、彼らの罪悪のためである。
まことに、あなたがたに言う。「わたしには、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らもわたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、一人の羊飼いとなるであろう」とわたしが言ったその羊とは、あなたがたのことである。
しかし、彼らはわたしの言ったことを理解しなかった。
それは異邦人のことであると、彼らは思った。異邦人は彼らの宣教によって改宗するということを、彼らは理解していなかったからである。
また、「彼らもわたしの声に聞き従うであろう」とわたしが言った意味を、彼らは理解しなかった。異邦人は決してわたしの声を聞かないということ、すなわち、聖霊による以外にわたしは異邦人に自分自身を現さないということを、彼らは理解しなかった。
しかし見よ、あなたがたはわたしの声を聞き、わたしを見た。
あなたがたはわたしの羊である。
そしてあなたがたは、父がわたしに与えてくださった者の中に数えられている。」』
(『ニーファイ第三書』第15章16節〜24節)
モロナイが封じて地に隠した金属の版は、ジョセフ・スミスをはじめとする多くの聖徒たちの協力と信仰によって『モルモン書』として世に出ました。
そして長い年月を経て世界中に知られる書物となりました。
この完全な福音が記された書物は、初期の聖徒たちによってモルモン書に登場する民の子孫にも伝えられました。
彼らは現在ネイティヴアメリカンと呼ばれる人々です。
リーハイの長男であったレーマンから生まれた民であることから、『レーマン人』の名で記されています。
主は、レーマン人にもモルモン書を伝えることを一人の預言者に聖約されました。
『エノス書』から引用します。
『しかしわたしは、主なる神がわたしたちの記録を残す力を持っておられることを知っていたので、また主なる神がかつてわたしに、「あなたがたは必ず与えられると信じて信仰を持ってキリストの名によって求めれば、何でも与えられる」と言われたので、わたしは続けて神に叫び求めた。
わたしは信仰を持っていたので、わたしたちの記録を残すように神に叫び求めた。
すると神は、御自身がふさわしいと思うときにそれらの記録をレーマン人に伝えると聖約された。』(『エノス書』第1章15、16節)
モルモン書が世に出たとき、全イスラエルの集合の業が始まりました。
『またその日、すなわちこの福音がこの民の残りの者の中で宣べ伝えられるとき、父の業が始まるであろう。
まことに、あなたがたに言う。その日、父の業は、わたしの民のすべての散らされた者の中で、すなわち、父がエルサレムから連れ出された行方の知れない部族の中で始まるであろう。』
(『ニーファイ第三書』第21章26節)
イスラエルの集合
『イスラエル』という言葉が初めて使われたのは旧約聖書です。
『創世記』の中で、アブラハムの孫ヤコブに、神が名付けました。
『その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです。」』
(『創世記』第32章28節)
『神は彼に言われた、「あなたの名はヤコブである。しかしあなたの名をもはやヤコブと呼んではならない。あなたの名をイスラエルとしなさい」。
こうして彼をイスラエルと名付けられた。』
(『創世記』第35章10節)
さて、このイスラエルという名は、ヤコブの個人名としてのみにとどまらず、ヤコブの子孫に対して、またその子孫が築いた王国に対しても用いられました。
ヤコブの12人の息子たちとその子孫たちから成る十二部族を指して、『イスラエルの家』と呼ぶことがあります。
『するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない。」』
(『マタイによる福音書』第15章24節)
主はイスラエルの十二部族を、その不義と背反のゆえに散らし、苦しめられました。
しかし、主は選ばれた民をこのように国々の中に散乱させ、それによってその国々に祝福をもたらす機会とされました。
イスラエルの家が散らされること、そして再び集められることは聖典の中に幾度となく預言されています。
『主は言われる、見よ、わたしがわが民イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る。
主がこれを言われる。わたしは彼らを、その先祖に与えた地に帰らせ、彼らにこれを保たせる。」』(『エレミヤ書』第30章3節)
『主なる神はこう言われる、わたしがイスラエルの家の者を、その散らされたもろもろの民の中から集め、もろもろの国民の目の前で、彼らにわたしの聖なることをあらわす時、彼らはわたしが、わがしもべヤコブに与えた地に住むようになる。』
(『エゼキエル書』第28章25節)
イスラエルの集合を預言した聖文はモルモン書の中にも複数あります。
モルモン書に登場する民であるリーハイの息子たちは、自分たちがイスラエルの家に属する者であることを理解しています。
『まことに、わたしはあなたがたに言います。
父は、自分に宿った主の御霊によって、イスラエルの家をオリーブの木にたとえました。
まことに、わたしたちは、イスラエルの家から折り取られた者ではありませんか。イスラエルの家の一枝ではありませんか。
ところでわたしたちの父は、異邦人が満ちみちる恵みにあずかることによって、元の自然な枝が接ぎ戻されることについて語りましたが、それは、メシヤが人の子らに肉体をもって御姿を現された後に、わたしたちの子孫がまことに長い間、しかも多くの世代にわたって不信仰に陥るようになった末日において、メシヤの完全な福音が異邦人に与えられ、次いで異邦人からわたしたちの子孫の残りの者に伝えられるようになるということです。
その日、わたしたちの子孫の残りの者は、自分たちがイスラエルの家に属する主の聖約の民であることを知るでしょう。
それから彼らは、自分たちの先祖のことを知って理解するようになり、また彼らの贖い主によって先祖に与えられた贖い主の福音も理解するようになるでしょう。
このようにして、彼らは贖い主とその教義の詳しい点について理解するようになり、どうすれば贖い主のみもとに帰って救いを得られるかを知るのです。
その日、彼らは自分たちの岩であり救いである永遠の神を喜び、賛美せずにいられるでしょうか。
まことにその日、まことのぶどうの木から力と養いを受けないでいられるでしょうか。
まことに、神のまことの羊の群れに入らないでいられるでしょうか。
まことに、わたしはあなたがたに言います。
そうです。彼らはイスラエルの家の中で再び覚えられ、またオリーブの木に接ぎ戻されるのです。
これが、わたしたちの父が言おうとしたことです。また父は、このことは彼らが異邦人によって散らされるまで起こらないと言っています。
また父は、このことが異邦人を通して起こり、主がユダヤ人、すなわちイスラエルの家によって拒まれるので、主が御自分の力を異邦人に現されるためにそれが起こると言っています。』
(『ニーファイ第一書』第15章12節〜17節)
注釈を入れますと、『わたし』と語っているのがリーハイの四男であるニーファイ、『あなたがた』と呼んでいるのはニーファイの兄たちのことです。
モルモン書が人々の目に現されてから、すでに200年近くが経過しました。
旧約聖書の時代から預言されていたことが、今まさに起こっています。
『主は旗をあげて遠くから一つの国民を招き、地の果てから彼らを呼ばれる。
見よ、彼らは走って、すみやかに来る。』
(『イザヤ書』第5章26節)
さいごに
イスラエルの集合という言葉だけを聞くと、特定の国民や民族のみを指すような印象を受けるかもしれませんが、実際には全く異なります。
これは地上に住むわたしたち全てに関わることです。
このことを理解するためには、アブラハムという人物について学ぶ必要があります。
次回はアブラハムと、彼が神と交わした聖約についてお話しします。
聞いてくださってありがとうございました。
おやすみなさい。
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