導入
みなさんこんばんは、かいです。
聞いてくれている皆さんの時間を今、分けてくださっていることに心から感謝します。
ありがとうございます。
さて、前回は総大会からネルソン大管長のお話を抜粋して紹介しました。
また最初の示現から200年となる節目を記念して、教会からの公式な宣言も一緒に紹介しました。
今回も引き続き総大会からお話を紹介します。
ヘンリー・B・アイリング管長
今回は大管長会第二顧問を務めるアイリング管長のお話を紹介します。
『兄弟姉妹の皆さん,今日皆さんとお話しできることに感謝します。この話が,人生が困難で不確かだと思えるときに励ましとなるよう望んでいます。今がそのようなときだと言う方もいらっしゃるでしょう。そうはおっしゃらない方にも,そのようなときが訪れます。
それは悲観的な見方ではありません。神がこの世を創造された目的に照らせば,現実的であり,むしろ楽観的です。その目的は,困難なときにも義を選ぶ能力と意志があることを証明する機会を,御自身の子供たちに与えることでした。そうすることで,彼らの性質が変わり,さらに主に似た者となることができるからです。そのためには神を信じる揺るぎない信仰が必要なことを,神は御存じでした。
わたしが今知っていることの多くは,家族から学んだことです。わたしが8歳の頃,兄とわたしは,自宅の裏庭の草取りを一緒にするよう賢明な母に頼まれました。簡単な作業に思えますが,わたしたちが住んでいたのはニュージャージーです。よく雨が降り,土は重い粘土質でした。雑草は野菜より速く伸びました。
雑草の根が重い泥から抜けずに途中でちぎれてしまうと,がっかりしたのを覚えています。少したつと,母と兄はもうはるか先にいました。頑張れば頑張るほど遅れをとり,わたしは
「こんなの大変すぎるよ!」と叫びました。
母は同情する代わりに,微笑んでこう言いました。「ハル,もちろん大変よ。そういうものなの。人生は試しなのよ。」
その瞬間,母の言葉が,そのときも,また将来にわたっても,真実だと悟りました。
母の愛情のこもったほほえみの理由が,数年後に明らかになりました。天の御父とその愛子が,この世を創造し,霊の子らに現世で生きる機会を与えられた目的について述べられた,次の言葉を読んだときです。
「そして,わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。
第一の位を守る者は付け加えられるであろう。また,第一の位を守らない者は,第一の位を守る者と同じ王国で栄光を受けることはない。さらに,第二の位を守る者は,とこしえに栄光をその頭に付け加えられるであろう。」
皆さんもわたしも,この招きに応じました。わたしたちは試されることを選び,また天の御父の御前から絶たれても神の戒めを守ることを選んで,自らを証明することにしたのです。
このように天の御父が愛情深く招いたにもかかわらず,ルシフェルは,進歩と永遠の幸福を目的とする御父の計画を拒んで自分に従うよう,霊の子供たちの三分の一を説き伏せました。その背反により,サタンは手下とともに追放されました。現在,サタンは,できるだけ多くの人が現世で神に背くように仕向けています。
わたしたちが計画を受け入れたのは,救い主,贖い主になることを申し出てくださったイエス・キリストを信じる信仰のためです。そのときわたしたちは,どれほど肉体が弱くても,またどのような邪悪な力を受けても,善の力が圧勝するだろうと信じていたに違いありません。
天の御父とイエス・キリストは皆さんを知っていて,愛しておられます。皆さんがみもとに戻り,御二方のようになるよう望んでおられます。皆さんの成功は御二方の成功です。その愛について聖霊が確認してくださるのを,次の言葉を読んだり聞いたりしたときに感じたことがあるでしょう。「見よ,人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である。」
神は,わたしたちの道のりをなだらかにする力をお持ちです。神は,イスラエルの子らが約束の地をさまよっているときには,マナを食物として送られました。また主は現世で教導の業をしておられるときに,病人を癒し,死者をよみがえらせ,海を静められました。主の復活後,「縛られていた者に獄が開かれ〔ました〕」。
それにもかかわらず,最も偉大な預言者の一人,預言者ジョセフ・スミスは獄中で苦しみ,わたしたちが繰り返し信仰の試しを受けるときに役立ち,必要とする,次の教訓を学んだのです。「また,たとえあなたが穴の中に投げ込まれたり,殺人者の手に渡されたりして,死刑の宣告が下されても,たとえあなたが深みに投げ込まれても,たとえ寄せて来る大波があなたを巻き込もうとしても,たとえ暴風があなたの敵となっても,たとえ天が暗黒を集め,すべての元素が結束して道をふさいでも,また何にも増して,たとえ地獄の入り口が大口を開けてあなたをのみ込もうとしても,息子よ,あなたはこのことを知りなさい。すなわち,これらのことはすべて,あなたに経験を与え,あなたの益となるであろう。」
愛に満ちた全能の神が,現世でこれほど厳しい試しを許されるのはなぜかと思うのも無理はありません。それは,霊的に清く大きく成長しなければ,神の御前で永遠に家族とともに暮らせないことを,神が御存じだからです。そのため天の御父は,わたしたちに救い主と,選択する力,すなわち,信仰によって神の戒めを守り,悔い改めて,主のもとに来ることを自ら選ぶ力をくださったのです。
御父の幸福の計画の中心となるのは,わたしたちが神の愛子,イエス・キリストにさらに似た者となることです。あらゆることにおいて,救い主の模範は最良の指針です。主も御自身を証明する必要がありました。主は天の御父のすべての子供のために耐え,あらゆる罪の代価を払ってくださいました。また,これまでに生を受けた人とこれから受けるすべての人たちの苦しみも味わわれたのです。
自分はどれほどの苦痛に耐えられるだろうかと思うとき,主を思い起こしてください。主が皆さんの苦しみを味わわれたのは,皆さんを引き上げる方法を知るためでした。重荷は取り除かれないかもしれませんが,主は力と慰めと希望を与えてくださるでしょう。主は道を御存じです。主は苦い杯を飲み,すべての人の苦しみに耐えられたのです。
いかなる試しからも皆さんを救う方法を御存じの,愛に満ちた救い主の養いと慰めを皆さんは受けています。アルマはこう教えています。
「そして神の御子は,あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられる。これは,神の御子は御自分の民の苦痛と病を身に受けられるという御言葉が成就するためである。
また神の御子は,御自分の民を束縛している死の縄目を解くために,御自身に死を受けられる。また神の御子は,肉において御自分の心が憐れみで満たされるように,また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように,彼らの弱さを御自分に受けられる。」
主が皆さんを救われる一つの方法は,常に主を覚え,主のもとに来るよう招くことです。主はこのように勧めておられます。
「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」
主のもとに来る方法とは,主の言葉をよく味わい,信仰を行使して悔い改め,権能を受けた主の僕からバプテスマと確認の儀式を受け,神と交わした聖約を守ることです。主は,皆さんの伴侶,慰め主,導き手として,聖霊を送ってくださいます。
聖霊の賜物にふさわしく生活するなら,たとえ道が皆さんには見えていない場合でも,主が安全な場所へと導いてくださいます。わたしの場合,主はたいてい一,二歩先まで示してくださいます。遠い将来を見せてくださることはまれですが,そのような場合にも日々の生活における選びについて導きを与えてくださいます。
主はこのように説明しておられます。
「あなたがたは,この後に起こることに関するあなたがたの神の計画と,多くの艱難の後に来る栄光を,今は肉体の目で見ることができない。多くの艱難の後に祝福は来る。」
試練のさなかにも聖約に忠実であると証明したときにもたらされる最大の祝福は,自分の性質が変化することです。わたしたちが聖約を守ることを選ぶとき,イエス・キリストの力と贖罪の祝福が効果を発揮できます。心が和らいで,人々を愛し,赦し,救い主のもとに来るよう勧められるようになります。主への信頼が増し,恐れは和らぎます。
艱難を通してそのような祝福が約束されていても,わたしたちは艱難を求めようとはしません。現世では,自らを証明し,救い主と天の御父に似た者となるために,一人一人が厳しい試しを乗り越える機会が十分に与えられます。
また,人の艱難に気づき,助けようとしなければなりません。自分自身も厳しい試しのさなかにあるときには,特に難しいことです。しかし,たとえ少しでもだれかの重荷を軽くするときに,わたしたちの背は強められ,暗闇の中に光を感じ取れるようになるのです。
主は,この点において手本であられます。ゴルゴタの十字架で,神の独り子でなければ死ぬほどの大きな苦痛をすでに味わっておられた主が,死刑執行者に目をやって御父にこう言われたのです。「彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」地上に生を受けるすべての人のために苦しみながら,主は十字架上からヨハネと悲しみにくれる御自身の母親に目をやり,試しのさなかにある母にお仕えになりました。
ーわたしは,厳しい試練の中で忠実さを証明して高みに昇り詰めた人々を見たことがあります。現在,各地の教会にそのような人が見られます。人は逆境に追い込まれますが,忠実な忍耐と努力により,さらに救い主と天の御父に似た者となるのです。
わたしは母からもう一つ教訓を学びました。母は子供のころ,ジフテリアで命を落としかけ,後に脊髄膜炎も患いました。母の父は若くして亡くなったので,母と兄弟で自分たちの母親の生活費を援助しました。
母は生涯を通じて,病気という試練から影響を受けていました。人生最後の10年間,母は何度も手術を受けなければなりませんでした。それでも,たとえ寝たきりになっても,常に母は忠実さを主に証明していました。母の寝室の壁にたった一つかかっていたのは,救い主の絵でした。母がわたしに最後にかけた言葉は,「ハル,風邪を引いたような声をしてるわね。体を大切にしないとね」でした。
母の葬儀の最後の話者は,スペンサー・W・キンボール長老でした。母の試練と忠実さについて話した後,長老はこんなことを言いました。「ミルドレッドが,これほどたくさん,長く苦しんだのはなぜかと思う人がいるかもしれません。その理由は,主が彼女をもう少し磨こうとなさったからです。」
イエス・キリストの教会の多くの忠実な会員に,感謝をお伝えします。彼らは,主がもう少し磨こうとなさるときに確固とした信仰で重荷に耐え,人が重荷を負えるように助けています。また,自分や家族がそのような研磨を経験しているさなかに,人に奉仕している世界中の介護者や指導者たちにも愛と賛辞を送ります。
わたしたちは天の御父の子供であることを証します。御父はわたしたちを愛しておられます。すべての人に向けられた,ラッセル・M・ネルソン大管長の愛を感じます。ネルソン大管長は現代の主の預言者です。これらを主イエス・キリストの神聖な御名により証します。アーメン。』
(2020年10月総大会 日曜午後の部会 ヘンリー・B・アイリング『試され、証明し、磨かれる』より抜粋)
さいごに
タイトルにあるように、この話はわたしたち自身が困難の中にあっても、それが正しい選択をすることができる試練の機会であると知るべきだと教えています。
人によって『困難』の意味合いはさまざまです。
苦難のあまり自ら命を絶つ選択をせざるを得ないような状況にある人も多くいます。
悩みを打ち明けることができず、ただ独りで苦しみ続けている人もいるでしょう。
ですがわたしたちは前世において、肉体を持って生きることには様々な困難があることを承知のうえで地上に来ることを選択しました。
わたしたちの救い主であるイエスもまたそうです。
『そして神の御子は、あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられる。これは、神の御子は御自分の民の苦痛と病を身に受けられるという御言葉が成就するためである。
また神の御子は、御自分の民を束縛している死の縄目を解くために、御自分に死を受けられる。また神の御子は、肉において御自分の心が憐れみで満たされるように、また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように、彼らの弱さを御自分に受けられる。』
(『アルマ書』第7章11、12節)
わたしたちは独りで生きるのではなく、お互いを支え合って生きることを選択できます。
アイリング管長のお話は一部を抜粋したものです。
興味がある方はリンク先で視聴することができます。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2020/10/51eyring
今回はここまでにしましょう。
聴いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
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