導入
みなさんこんばんは、かいです。
聞いてくれている皆さんの時間を今、分けてくださっていることに心から感謝しています。
ありがとうございます。
さて、前回は永遠の命について途中までお話をしました。
今回はその続きをお話しします。引き続き聖典と教会の出版物を参照しています。
新しくかつ永遠の聖約
前回の最後で教義と聖約第132章19、20節を紹介しました。
その中で『とこしえにいつまでも子孫が満ちて続くこと』が昇栄とともに受ける栄光である、と記されています。
そして昇栄に入るためには、『新しくかつ永遠の聖約』に従う必要があります。
これについて、教義と聖約から引用します。
『まことに、主はあなた、すなわちわたしの僕ジョセフにこのように言う。多くの妻とそばめを持つことの原則と教義について、主なるわたしがわたしの僕たちアブラハムと、イサクと、ヤコブ、またわたしの僕たちモーセと、ダビデと、ソロモンをどのような点で義としたのかを知り、かつ理解するために、あなたはわたしに尋ねたので、
見よ、見よ、わたしは主なるあなたの神であり、この件についてあなたに答えよう。
それゆえ、これからあなたに与える指示を受け入れて、これに従うために、心の備えをしなさい。この律法を示された者は皆、これに従わなければならないからである。
見よ、わたしはあなたがたに一つの新しくかつ永遠の聖約を示す。もしその聖約に従わなければ、あなたがたは罰の定めを受ける。だれもこの聖約を拒みながら、わたしの栄光に入ることを許されることはあり得ないからである。
わたしから祝福を受けたいと思う者は皆、その祝福のために定められた律法とその条件に従わなければならない。その律法とその条件は、創世の前から定められたものである。
この新しくかつ永遠の聖約についてであるが、これはわたしの完全な栄光のために定められたものであって、この完全な栄光を受ける者はその律法に従わなければならない。そうしなければ罰の定めを受ける、と主なる神は言う。
まことに、わたしはあなたがたに言う。この律法の条件は次のとおりである。すなわち、すべての聖約や契約、きずな、義務、誓詞、誓言、履行、関係、交際、期待がなされ、また交わされるとき、これらが油注がれた者の仲立ちによる啓示と戒めによって、最も聖なる方法で、この世においても永遠にわたっても、この力を持つようにわたしが地上で任じた油注がれた者によって、約束の聖なる御霊により結び固められなければ、これらは死者の中からの復活の時も 、その後も、まったく効験や効能、効力がない。(わたしは、終わりの時にこの力を持つように、わたしの僕ジョセフに命じた。そして、この力とこの神権の鍵を授けられる者は、地上において同時期にただ一人しかいない。)この目的で結ばない契約はすべて、人が死ぬと終わるからである。』
(『教義と聖約』第132章1節〜7節)
主は言葉の言い回しが独特ですので一見すると難しく感じてしまう場合もありますが、新しくかつ永遠の聖約とは、イエス・キリストの完全な福音のことです。
『まことに、わたしはあなたに言う。あなたはわたしの永遠の聖約、すなわち、人の子らのもとに送り出されたわたしの完全な福音を受け入れているので、幸いである。それは、昔の使徒たちと預言者たちによって書き記されたとおり、人の子らが命を得て、終わりの時に明らかにされる栄光にあずかる者とされるためである。』
(『教義と聖約』第66章2節)
ところで前回、御父は『聖なる人』である、というお話を少ししました。
主は『人の子』と呼ばれます。
彼はわたしたちの救い主という特別な召しを与えられた存在であり、御父の、肉体における独り子だからです。
ではわたしたちはどうか、というと上の教義と聖約にもあるように『人の子ら』と呼ばれます。
さて、教義と聖約第132章に戻ります。
この聖文のなかに『結び固める』という語が出ます。
これは、神権の権能によって地上で執行された儀式を、天においても有効なものとすることを指します。
上の聖文にもありますが、儀式は『約束の聖なる御霊』、すなわち聖霊による承認を受けた時に結び固められます。
この結び固めについては聖書にも複数回登場します。
『わたしは、あなたに天国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。』
(『マタイによる福音書』第16章19節)
『あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。』
(『エペソ人への手紙』第1章13節)
神殿の必要性
わたしたちの教会では、世界各地に神殿を建設しています。
日本にも2020年現在三つの神殿があり、四つめが沖縄に造られます。
この神殿には特別な存在理由があります。
神殿の中ではさまざまな儀式が行われ、中には神殿においてのみ執行可能な儀式もあります。
神殿の中で行われる儀式のひとつが結婚の儀式です。
この儀式において、約束の聖なる御霊、つまり聖霊の承認を受けたときに妻と夫はこの世でも、この世の外でも永遠に夫婦として結び固められます。
夫婦だけでなく親子、家族もまた儀式によって永遠に結び固められます。
儀式は生者のみが受けるにとどまらず、すでに亡くなった死者に対しても行われます。
バプテスマ、結び固めなど生者が受けるのと同じ儀式が執行されます。
この死者のための儀式は聖書にも記されています。
『そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。』
(『コリント人への第一の手紙』第15章29節)
神殿で行われる事は神聖さのゆえに、神殿以外で話さないようにすることが賢明です。
儀式の詳細などについても同様です。
さて、神殿での永遠の結婚に話を戻しますが、前述のとおり、昇栄を受けるためには神殿においてのみ行われる夫婦の結び固めが不可欠です。
では、それができなかった場合はどうなるのでしょうか。
教義と聖約から引用します。
『日の栄えの栄光には、三つの天、すなわち三つの階級がある。
その最高の階級を得るためには、人はこの神権の位(すなわち、結婚の新しくかつ永遠の聖約)に入らなければならない。
そうしなければ、その人はそれを得ることができない。
その人は他の階級に入ることはできるが、それは彼の王国の終わりであって、その人は増し加えることができないのである。』
(『教義と聖約』第131章1節〜4節)
最後の『増し加えること』というのは子孫が満ちるということであり、永遠の命を指します。
永遠に子孫が増え続けていくことを意味します。
個人の不死不滅は別に与えられますので、それとは意味合いが異なります。
では昇栄を受けない場合も同じく引用します。
『それゆえ、彼らはこの世の外に去ると、めとることも、嫁ぐこともなく、天において天使に任じられる。その天使たちは、はるかに優れた、並外れた、永遠の重みのある栄光にふさわしい者たちに仕える奉仕の僕である。
これらの天使たちは、わたしの律法に従わなかったからである。それゆえ、彼らは増し加えられることがなく、永遠にわたって、昇栄することなく、救われた状態にあって、それぞれ独りのままでいることになる。それから後、彼らは神々ではなく、とこしえにいつまでも神の天使である。』
(『教義と聖約』第132章16、17節)
16節の冒頭で『それゆえ』とありますが、この前にあるのはつまり、ある男性が神によらず、あるいは神の言葉によらず妻をめとったとしても、その世の外に去るとその誓いにはなんの効力もない。だから彼らはこの世の外ではいかなる律法によっても結ばれることはない、ということが記されています。
昇栄を受けることが約束された人について、聖典に記されていることはお伝えしましたが、昇栄できないことについて明らかにされた人もいます。
『ダビデも多くの妻とそばめを受けた。わたしの僕たちソロモンとモーセも、また創造の初めから現在に至るまでの、ほかの多くのわたしの僕たちも同様である。彼らはわたしから受けなかったものを除いては、どのようなことについても罪を犯さなかった。
ダビデの妻たちとそばめたちは、わたしの僕ナタンと、この力の鍵を持っていた他の預言者たちによって、わたしから彼に与えられたのである。そして、これらのことのどれにおいても、ウリヤとその妻の場合を除けば、彼はわたしに対して罪を犯さなかった。しかし彼らのことで、彼は昇栄から落ちて、彼の受け取る分を受けた。この世の外では、彼は彼女たちを受け継ぐことはない。わたしは彼女たちを別の者に与えたからである、と主は言う。』
(『教義と聖約』第132章38、39章)
ダビデといえば古代イスラエルを治めた王として有名な人物です。
若い頃から非常に勇敢で、ペリシテ人の英雄である巨人ゴリアテを斃したことでも知られます。
旧約聖書に収められている詩篇は、その多くが彼の作品です。
主の心にかなう人と呼ばれ、御霊によって語り、多くの啓示を受けました。
それでも一人の女性のことで罪を犯し、のちになって心からその罪を悔いましたが、この一件については赦しを得られませんでした。
さいごに
わたしたちが永遠の命を受けるのは決して簡単なことではありません。
ですが完全な福音に従い、聖霊の助けを受け続けることで、少しずつ進んでいくことができるでしょう。
今回はここまでにします。
聞いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
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