導入
みなさんこんばんは、かいです。
聞いてくれている皆さんの時間を今、分けてくださっている事に心から感謝しています。
ありがとうございます。
前回は水によるバプテスマ、火と聖霊によるバプテスマについてお話ししました。
今回は、それらの儀式を行うものが持つ権能についてお話しします。
いつも通りですが、聖典と教会の出版物を参照しています。
『神の権能』
聖典の中でも語られる神の権能とは何でしょうか。
これを一言でいうと、『神の業を行うに当たって、父なる神またはイエス・キリストのためにその代理として行動するように召され、聖任される人々に、この地上で与えられる承認』です。
そして、神の代理として行動するために与えられるのが『神権』です。
この神権とは、『神が人の救いのためにあらゆることを行うよう授けられた権能と力』を指します。
では、この神権とは誰に対して与えられるものなのでしょうか。
最初の神権者
地上に住む人で最初に神権を受けたのはアダムでした。
そしてモーセに至るまで神権は受け継がれ、主は民の中からモーセを取り去り、同時に聖なる神権をも取り去られました。
『教義と聖約』第84章6節から17節までを引用します。
『そして、聖なる神権によるモーセの息子たち、そのモーセは彼のしゅうとであるエテロの手の下でそれを受け、
エテロはカレブの手の下でそれを受け、
カレブはエリフの手の下でそれを受け、
エリフはエレミの手の下で受け、
エレミはガドの手の下で受け、
ガドはイザヤスの手の下で受け、
イザヤスは神の手の下でそれを受けた。
イザヤスはまたアブラハムの時代に生きていて、彼から祝福を受けた。
このアブラハムはメルキゼデクから神権を受け、メルキゼデクは先祖の血統を通してそれを受け、まことにノアまで至り、
ノアから先祖の血統を通してエノクまで至り、
エノクから、兄の陰謀によって殺されたアベルに至る。
アベルは、神の命令により最初の人であった父アダムの手によって神権を受けた。
この神権はあらゆる時代に神の教会の中に存続し、日の初めもなく年の終わりもない。』
同21節から28節までを引用します。
『また、神権の儀式と権能がなくては、肉体を持つ人間に神性の力は現れない。
これがなくては、誰も神、すなわち父の御顔を見て、なお生きていることはできないからである。
さて、このことを、モーセは荒れ野の中でイスラエルの子らに分かりやすく教え、その民が神の顔を見る事ができるように、彼らを聖めようと熱心に努めた。
しかし、彼らは心をかたくなにし、神の臨在に堪えることができなかった。
そのため、主の怒りは彼らに向かって燃え、主は激しく怒って、彼らは荒れ野にいる間神の安息に入れないと誓った。
この安息とは、主の完全な栄光のことである。
それゆえ、主は彼らの中からモーセを取り去り、また聖なる神権も取り去った。
そして、小神権が存続した。
この神権は、天使の働きと備えの福音の鍵を持つものである。
この福音は、悔い改めとバプテスマと罪の赦しの福音、また肉の戒めの律法であって、主は激しく怒り、この律法をアロンの家とともにイスラエルの子らの中にヨハネに至るまで存続させた。
そのヨハネは、母の胎内から聖霊に満たされており、神が立てた者である。
彼はまだ子供のときにバプテスマを受け、また生後八日で神の天使によってこの力、すなわち、ユダヤ人の王国を打ち倒し、主の民の前に主の道をまっすぐにし、一切の権威をその手に与えられている主の来臨のために彼らを備える力を持つように聖任されたのである。』
前回お話しした、バプテスマのヨハネがイエスにバプテスマを施すことができたのは、彼が小神権を受けていたためです。
『権能を持つもの』によってバプテスマを受ける必要がある、というのは『神権を持つもの』によって儀式を執行する、と言い換えることができます。
大神権と小神権
さて、バプテスマのヨハネが受けていたのは『天使の働きと備えの福音の鍵を持つ』神権、すなわち小神権でした。
対して大神権というものもあります。
そもそも神権とはひとつのものですが、二つの区分に分けられています。
この説明のため『教義と聖約』第107章1節から6節まで引用します。
『教会には二つの神権、すなわち、メルキゼデク神権と、レビ神権を含むアロン神権がある。
なぜ前者がメルキゼデク神権と呼ばれるかといえば、メルキゼデクはそれほど偉大な大祭司であったからである。
彼の時代の前には、これは神の御子の位に従う聖なる神権と呼ばれていた。
しかし、至高者の名を敬い尊ぶことから、この名をあまり頻繁に繰り返すのを避けるために、昔の教会員はこの神権を、メルキゼデクにちなんで、メルキゼデク神権と呼んだのである。
教会における他のすべての権能または職は、この神権に付属するものである。
しかし、二つの区分、すなわち大きな部類がある。
一つはメルキゼデク神権であり、他はアロン神権またはレビ神権である。』
モーセと共に主によって取りげられたのが大神権です。
バプテスマのヨハネまでは小神権のみが存続していましたが、イエスが12人の使徒を召命し、彼らに大神権を授けました。
使徒たちが存命していた間は地上に大神権が存続していました。
ですがひとりの使徒以外は全て死によって地上を去り、大神権は使徒の中から途絶えました。
残された最後のひとりであるゼベダイの子ヨハネもパトモス島に流刑にされた後、行方がわかりません。
ですが彼は主によって死を制する力を与えられ、今この瞬間も世にとどまっています。
このヨハネについて、1829年4月、ペンシルベニア州ハーモニーにおいてジョセフ・スミスとオリバー・カウドリという人物に与えられた啓示があります。
彼らはゼベダイの子ヨハネが生きているのか死んでしまったのかを知りたいと望み、主に尋ねました。
その時に与えられたものです。
この啓示は、ヨハネが記して自ら隠しておいた記録の訳文になります。
ジョセフ・スミスは神から召された預言者であるだけでなく、『聖見者』でもありました。
聖見者とは、神が世の人々から隠されたことを、霊の目をもって見るのを許された人をいいます。
この啓示を受けた時、ジョセフは解訳器とも呼ばれるふたつ一組の石を用いていましたが、のちになってそのような道具を使うことなく古代の聖文を翻訳できるようになりました。
この時の啓示が『教義と聖約』として聖典に含まれています。
第7章1節から6節までを引用します。
『主はわたしに言われた。「わたしの愛するヨハネよ、あなたは何を望むか。あなたの欲することを求めれば、授けられるであろう。」
そこで、わたしは主に申し上げた。
「主よ、私が生き長らえて、人々をあなたのみもとに導くことができるように、死を制する力をお与えください。」
すると、主はわたしに言われた。
「まことに、まことに、あなたに言う。あなたがこれを望んでいるので、わたしが栄光のうちに来るときまであなたはこの世にとどまり、もろもろの国民、部族、国語の民、民族の前で預言するであろう。」
そしてこのために、主はペテロに言われた。
「わたしが来るときまで彼がこの世にとどまっていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があろうか。彼は人々をわたしのもとに連れてくることを望んだが、あなたはわたしの王国においてわたしのもとに速やかに来ることを望んでいるからである。
わたしはあなたに言う、ペテロよ、これは善い望みであった。しかし、わたしの愛する者はそれ以上のこと、すなわち、彼がこれまで行ってきたことよりもさらに大いなる業を人々の中で行うことを望んだ。
まことに、彼はさらに大いなる業を引き受けた。それゆえ、わたしは彼を燃える火のようにし、また仕える天使とする。
地上に住んでいる救いを受け継ぐ者のために、彼は仕えるであろう。」』
ヨハネもまた、天使のひとりとして世にとどまっていることが記されています。
ただ、彼がどこにいるのかは今は判りません。
途絶えた神権
わたしたちの聖典のひとつであるモルモン書は、紀元前約600年にエルサレムを出て、現代で言うところのアメリカ大陸へと渡った『ニーファイの民』と彼らの子孫たちの記録が記されています。
彼らの中にも常に預言者が存在し、民を導いていました。
最終的に紀元約421年あたりで記録は終えられ、ニーファイ人の最後の預言者であったモロナイが死んだことで地上の大神権は一度途絶えました。
正確にいうならゼベダイの子ヨハネと、ニーファイの民から選ばれたイエスの弟子12人のうち3人が死を制する力を与えられているため、彼らによって大神権は保持されていますが、彼らがどこにいるのかは不明であり、おそらく近代までに彼ら4人から個人的に神権の聖任を受けたものはいないと思われます。
神権の回復
さて、第四回目でジョセフの元に天使となったモロナイが訪れたことを話しましたが、その時にモロナイはジョセフに幾つかのことを告げています。
ひとつは主がジョセフのなすべき業を備えておられること。
そしてジョセフの名が良くも悪くも全ての国民、部族、国語の民の中で覚えられること。
次にジョセフが住んでいる大陸の先住民の話と彼らの起源を伝える、金版に記された書が隠されていること。
そしてそれには救い主がその昔の住民に述べられたままに完全な永遠の福音が載っていること。
また、銀のつるにはめたふたつの石も版とともに隠されていること。
そしてモロナイは『マラキ書』の預言を引用し、ジョセフたちに神権を現すことを告げました。
『高価な真珠』の中にあるジョセフ・スミスー歴史から引用します。
『その方はこれらのことをわたしに告げられた後、『旧約聖書』の預言を引用し始められた。
最初にマラキ書の第三章の一部を引用し、またわたしたちの『聖書』に言われているのとは少し異なるが、同じ預言の第四章、すなわち最後の章も引用された。
わたしたちの『聖書』にあるとおりに第一節を引用する代わりに、次のように引用された。
「見よ、炉のように燃える日が来る。
全て高ぶる者と悪を行う者は、わらのように燃える。
やがて来る者たちが彼らを焼き尽くして、根も枝も残さない、と万軍の主は言う。」
さらにまた、その方は第五節を次のように引用された。
「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤの手によってあなたがたに神権を現そう。」』
これは1823年9月21日の夜に起こった出来事でした。
それから約6年後の1829年5月のある日のことです。
この当時ジョセフ・スミスはすでにオリバー・カウドリと共に金版の翻訳に携わっていました。
そして翻訳の中に述べられているのを見つけた、罪の赦しの為のバプテスマに関して主に祈って伺うため、森の中に入って行きました。
ふたりが祈っていたとき、彼らの前に天使が現れました。
こちらもジョセフ・スミス-歴史から引用します。
『わたしたちはなおも翻訳の仕事を続けていたが、その翌月のある日、わたしたは、版の翻訳の中に述べられているのを見つけた罪の赦しのためのバプテスマに関して主に祈って伺うために、森の中に入っていった。
わたしたちがこのようにして祈って、主に呼び求めていたとき、天からの使者が光の雲の中を降って来られた。
そして、その使者はわたしたちの上に手を置き、次のように言ってわたしたちを聖任された。
「わたしと同じ僕であるあなたがたに、メシヤの御名によって、わたしはアロンの神権を授ける。
これは天使の働きの鍵と、悔い改めの福音の鍵と、罪の赦しのために水に沈めるバプテスマの鍵を持つ。
また、レビの子らが再び義をもってささげ物を主にささげるまで、これは決して再び地上から取り去られることはないであろう。」
その方は、このアロン神権には聖霊の賜物を授けるための按手をする力はないが、これは将来わたしたちに授けられると言われた。
またその方は、行ってバプテスマを受けるようにわたしたちに命じ、わたしがオリバー・カウドリにバプテスマを施し、その後彼がわたしにバプテスマを施すようにと指示された。
それでわたしたちは行ってバプテスマを受けた。
わたしがまず彼にバプテスマを施し、その後、彼がわたしにバプテスマを施した。
それから、わたしが彼の頭に手を置いて、彼をアロン神権に聖任し、その後、彼がわたしに手を置いて、わたしを同じ神権に聖任した。
そのように私たちは命じられたからである。
このときわたしたちを訪れて、わたしたちにこの神権を授けてくださった使者は、自分の名はヨハネといい、『新約聖書』の中でバプテスマのヨハネと呼ばれている者で、自分はメルキゼデクの神権の鍵を持つペテロとヤコブとヨハネの指示の下で働いていると言われた。
また、ふさわしいときにメルキゼデクの神権もわたしたちに授けられ、わたしは教会の第一の長老と呼ばれ、彼(オリバー・カウドリ)は第二の長老と呼ばれる、と言われた。
わたしたちがこの使者の手によって聖任され、バプテスマを受けたのは1829年5月15日のことであった。』
神権時代
ジョセフ・スミスに神権が授けられた事により、福音の神権時代がはじまりました。
『福音の神権時代』とは、権能を与えられた、聖なる神権の鍵を持つ僕を少なくとも一人、主が地上に置かれる時代をいいます。
アダム、エノク、ノア、アブラハム、モーセ、イエス・キリスト、ジョセフ・スミスなどは、それぞれに新しい福音の神権時代を開いてきました。
主は一つの神権時代を起こされるとき、その時代の人々が救いの計画を知るに当たって過去の神権時代に頼る必要がないように、新たに福音を啓示されます。
ジョセフ・スミスによって始められた神権時代は『時満ちる神権時代』と呼ばれています。
さいごに
今から約190年前にアロン神権が地上に回復され、バプテスマを施す権能を持った人が準備されました。
こののちジョセフたちは大神権を授けられました。
次回はそのお話をします。
聞いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
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