導入
みなさんこんばんは。かいです。
聞いてくれている皆さんの時間を今、分けてくださっていることに心から感謝しています。
ありがとうございます。
前回はモルモン書が世に出た事と、それをきっかけとして起こるイスラエルの集合についてお話ししました。
それを踏まえて今回は、イスラエルの集合のために神と聖約を交わしたアブラハムという人物についてお話しします。
アブラハムの話は長くなりますので、二回か三回に分けます。
今回も聖典、教会からの出版物を参照しています。
また、今回のお話にはわたし個人の考えや仮説が含まれておりますが、それらについて教会の公式な発表ではないことをここに明言します。
アブラハムの先祖
アブラハムといえばキリスト教のみならず、ユダヤ教、イスラム教信徒の方々で知らぬ者はないといえるほど有名な人物です。
『信仰の父』とも呼ばれます。
彼はもとの名を『アブラム』といいました。
彼が生きていた正確な年代は不明ですが、メソポタミア地方にあるカルデア(カルデヤ)のウルという都市で生まれたようです。
ちなみにこのウルという都市はメソポタミア地方の北部と南部のどちらにあったのか、現在でも説が割れており、確定はしていないそうです。
また、アブラムの父親がテラという人物であったことは聖書やクルアーンに記されています。
テラの先祖を辿るとノアの息子セムがいます。
ノアといえば一般的には『ノアの大洪水』という言葉が使われることがあり、なんとなく『洪水の人』といったイメージがあるかもしれません。
ノアが生きていた時代に、地球全体が水の中に沈むほどの規模の洪水が起こりましたが、この洪水ののち生き残ったのがノアとその妻、さらに息子のうち三人と、それぞれの妻、合計八人と言われています。
大洪水を生き残った者たち
ノアから遡って最初の人であるアダムの息子の一人であるカインが、弟アベルを殺した罪によって呪われ、地上の放浪者となりました。
主なる神はカインにひとつのしるしをつけ、カインを見つける者が、誰も彼を打ち殺すことのないようにされました。
わたしたちの聖典のひとつである『高価な真珠』の中から『モーセ書』の一部を引用します。
『アダムとその妻エバは、神に呼び求めることをやめなかった。また、アダムはその妻エバを知り、彼女は身ごもってカインを産み、『わたしは主から男子を得ました。ですから、この子は神の御言葉を拒まないでしょう』と言った。しかし見よ、カインは耳を傾けずに言った。
『わたしが知るべき主とはだれですか。』
彼女はまた身ごもり、弟アベルを産んだ。アベルは主の声に聞き従った。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
カインは神よりもサタンを愛した。サタンは彼に命じて、『主にささげ物をせよ』と言った。
時がたって、カインは地の産物を持って来て、主へのささげ物とした。
アベルもまた、自分の羊の群れの初子の中から肥えたものを持って来た。主はアベルとそのささげ物に目を留めた。
しかし、主はカインとそのささげ物には目を留めなかった。 サタンはこれを知って喜んだ。カインは大いに憤って、顔を伏せた。
そこで、主はカインに言った。
『なぜ憤るのか。なぜ顔を伏せるのか。
あなたは正しいことをしていれば、受け入れられる。もし正しいことをしていなければ、罪が門口で待ち伏せており、サタンはあなたを得ることを望んでいる。あなたがわたしの戒めに聞き従わなければ、わたしはあなたを引き渡し、彼の望みどおりになる。そして、あなたは彼を治めるであろう。
これから先、あなたは彼が言う偽りの父となる。あなたは滅びと呼ばれる。あなたもまた世に先立って存在していた。
そして将来、「これらの忌まわしい行いはカインから出た。彼は神から出たさらに大いなる勧告を拒んだからである」と言われるであろう。これが、あなたが悔い改めなければ、わたしがあなたに与えるのろいである。』
カインは憤って、もはや決して主の声にも、主の前を聖く歩んだ弟アベルの声にも耳を傾けなかった。
アダムとその妻は、カインとその兄弟たちのゆえに主の前に嘆き悲しんだ。
さて、カインはその兄弟の娘の一人を妻とし、彼らは神よりもサタンを愛した。
サタンはカインに言った。『おまえののどにかけてわたしに誓え。それを話せば、おまえは死ぬのだ。また、おまえの兄弟たちに、その頭と生ける神とにかけて、それを話さないと誓わせよ。それを話せば、おまえの兄弟たちは必ず死ぬだろう。おまえの父に知られないためにこのようにせよ。そうすれば、今日、弟アベルをおまえの手に渡そう。』
そして、サタンはカインに、彼の命じるとおりに行うことを誓った。これらのことはすべてひそかに行われた。
カインは言った。『実に、わたしはこの大いなる秘密の主マハンであり、人を殺して利を得ることができる。』それで、カインは大マハンと呼ばれ、自分の悪事を誇った。
カインは野に行き、弟アベルと語った。そして、野にいたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
そして、カインは自分がしたことを誇って言った。『わたしは自由だ。弟の羊の群れは必ずわたしの手に入る。』
主はカインに言った。『弟アベルは、どこにいるのか。』 カインは答えた。『知りません。わたしは弟の番人でしょうか。』
主は言った。『あなたは何をしたのか。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいる。
今あなたはのろわれて、この土地を離れなければならない。この土地が口を開けて、あなたの手から弟の血を受けたからである。
あなたが土を耕しても、土はもはやあなたのために実を結ばない。あなたは、地上をさまよい歩く放浪者となるであろう。』
すると、カインは主に言った。『サタンが、弟の羊の群れのゆえにわたしを誘惑したのです。また、わたしも憤っていました。あなたが弟のささげ物を受け入れて、わたしのものを受け入れてくださらなかったからです。わたしの罰は重くて負い切れません。
あなたは今日、わたしを御前から追い出されました。わたしは御顔から隠されて、地上をさまよい歩く放浪者とならなければなりません。わたしを見つける者は、わたしが罪悪を犯したので、わたしを殺すでしょう。これらのことは主から隠されていません。』
そこで、主なるわたしは彼に言った。『だれでもあなたを殺す者は、七倍の復讐を受けるであろう。』そして、主なるわたしは、カインを見つける者が誰も彼を殺すことのないように、彼にしるしを付けた。
カインは主の前から締め出され、その妻および多くの兄弟たちとともに、エデンの東、ノドの地に住んだ。』
(『モーセ書』第5章16節〜41節)
このカインもまた、死ぬことができずに地上をさまよい歩くのろいを受けているがゆえに、大洪水を生き残ったという説があります。
さて、洪水の後、地上に残されたのは八人、あるいは九人でした。
ですが一般的にカインの存在は無視されていますので、このお話の中でも慣例に従うことにします。
ノアの息子セム
ノアの息子セムは義人(ただしい人)でした。そして、伝承によるとアラブ人、ヘブライ人、バビロニア人、シリア人、フェニキア人、アッシリア人を含むセム族の始祖とされています。
また、『教義と聖約』の中でセムは『偉大な大祭司』と呼ばれています。
神権の話をした時に少し名前が出た『メルキゼデク』も同じく『偉大な大祭司』と呼ばれています。
二人とも洪水の後、アブラムと同じ時代を生きました。
アブラムはメルキゼデクに財産の十分の一を納めました。
『その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。
彼はアブラムを祝福して言った、「願わくは天地の主なるいと高き神が、アブラムを祝福されるように。
願わくはあなたの敵をあなたの手に渡されたいと高き神があがめられるように」。アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。』
(『創世記』第14章18節〜20節)
この両名が同一人物ではないか、という説がありますが、教会員によっても意見の相違があり、はっきりとした事は判りません。
わたしより年配の教会員の方から伺った話ですと、10年以上前のかなり古い教会の出版物には『セム(メルキゼデク)』のような表記がなされていたそうなのですが、彼の記憶も断片的な上、わたしが現物を見たわけではありませんので断定はできません。
ただ、現代において二人が同一人物であるとは教会は公式に教えておりませんので、扱いが微妙ですね。
ですが御霊によって個人的に答えを受けている方がいるかもしれません。
わかっているのは、メルキゼデクがノアの子孫であり、大神権を授かっていたこと、そしてアブラムがこのメルキゼデクから神権を受けたという事です。
テラの父はナホル、その父はセルグ、その父はリウ、その父はペレグ、その父はエベル、その父はシラ、その父はアルパクサデ、その父がセムです。
戻ってテラはアブラム、ナホル、ハランの父です。
ハランは飢饉のゆえに、生まれた地、カルデヤのウルで父より先に亡くなりました。
アブラムの旅
アブラムの父テラは、当時ウルで盛んに行われていた偶像礼拝にのめり込んでいました。
ウルで信仰されていたのは月の神ナンナであり、このナンナはのちにテラの終の住処となるハランにおいても信仰されていました。
テラはハランにおいて再び偶像崇拝に戻ったと記されており、おそらくウルで信仰していたのと同じ神が崇拝されていたこともあってハランに留まったのでしょう。
ナンナの信仰教義については不明な点が多いですが、『アブラハム書』にはこのように記されています。
『わたしの先祖は、彼らの義と主なる彼らの神が与えられた聖なる戒めから離れて、異教徒の神々を礼拝し、わたしの言葉を聴くのをまったく拒んだ。
彼らは悪を行うことをその心に留め、エルケナの神と、リブナの神と、マーマクラの神と、コラシの神と、エジプトの王パロの神にすっかり頼り切っていたからである。
そこで、彼らは異教徒の犠牲にその心を向けて、これら口の利けない偶像に彼らの子供たちをささげ、わたしの声を聴こうとせず、エルケナの祭司の手によってわたしの命を取ろうとした。エルケナの祭司はまた、パロの祭司であった。
さて当時、カルデヤの地に築かれた祭壇上でこれら異国の神々への犠牲として男女や子供をささげることが、エジプトの王パロの祭司の習わしであった。
そして、祭司はエジプト人の流儀に従って、パロの神にささげ物をし、またシャグレールの神にもささげ物をした。ところで、シャグレールの神は太陽であった。
パロの祭司は、オリシェムの平野の奥にあるポテパルの丘と呼ばれた丘のそばにあった祭壇上で、子供を感謝のささげ物としてささげることさえ行なった。
さて、この祭司は、かつてこの祭壇上で三人のおとめをささげた。このおとめたちは、ハムの直系の王家の一人であるオニタの娘たちであった。このおとめたちはその節操のゆえにささげられたのである。彼女たちは木や石の神々をひれ伏して拝もうとしなかったために、この祭壇上で殺された。そして、それはエジプト人の流儀に従って行われた。』
(『アブラハム書』第1章5節〜11節)
創世記第12章にもアブラムの記録は残されていますが、それまで住んでいた地を離れるように主から命じられるところから始まります。
何が起こったために旅に出たのかは、アブラハム書に記されています。
アブラムは、先祖アダムから続く神権と、それが持つ大いなる幸福と平安と安息を得たいと考えたのです。
『さて、祭司たちはわたしに暴力を振るい、この祭壇上でそのおとめたちを殺したように、わたしも殺そうとした。
彼らがわたしをささげて命を取るために、その手をわたしの上に振り上げたとき、見よ、わたしは主なる神に声を上げた。すると、主は耳を傾けて聞いてくださり、全能者の示現でわたしを満たしてくださった。そして、主の前の天使がわたしの傍らに立ち、直ちに縄を解いてくれた。
そして、主の声がわたしに及んだ。「アブラハム、アブラハム、見よ、わたしの名はエホバである。わたしはあなたの声を聞いた。そして、あなたを救い出し、あなたを父の家から、すべての親族からあなたの知らない異国の地へ連れ出すために降って来た。
これは、彼らがその心をわたしから背けて、エルケナの神と、リブナの神と、マーマクラの神と、コラシの神と、エジプトの王パロの神を礼拝したためである。そこでわたしは、彼らに報いを下し、わたしの子であるあなたアブラハムの命を取ろうとして手を振り上げた者を滅ぼすために、降って来たのである。
見よ、わたしはわたしの手によってあなたを導こう。わたしはあなたを受け入れて、わたしの名、すなわちあなたの父の神権を与えよう。わたしの力はあなたの上にあるであろう。』
(『アブラハム書』第1章12節、15節〜18節)
主が『彼らがその心をわたしから背けて』とアブラムに伝えているところから、アブラムの父テラやその親族は、かつては主なる神への信仰を持っていたことが判ります。
ですがこの当時からサタンの影響力が強く、さまざまな心を惑わす対象が世にあったのでしょう。
偶像崇拝はその最たるものです。
偶像崇拝という言葉の捉え方は、わたしたちの教会と他のキリスト教教会とでは若干異なります。
これについてはまた別に機会を設けてお話しします。
さいごに
アブラムはこのときすでに『アブラハム』と主から改名され、多くの国民の父となることを聖約されていましたが、神権は受けていませんでした。
多くの祝福や艱難ののち、アブラムは神権を受けます。
次回はアブラムについてさらにお話しします。
聞いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
コメント