導入
みなさんこんばんは、かいです!
聴いてくださっているみなさんに感謝します。
ありがとうございます。
さて、現在世界中にはキリスト教と呼ばれる組織だけでも数多くの宗派があります。
宗派ごとに教義の細かい点が異なりますが、これらの組織に共通しているのは、『ナザレのイエスを救い主として認め、信じていること』です。
わたしが所属している末日聖徒イエス・キリスト教会もそのひとつです。
これまでに何度かお話ししましたが、末日聖徒イエス・キリスト教会はいわゆる『異端』と呼ばれています。
その理由として、『 三位一体説を信じていないこと』をはじめとした、いくつかの教義が独特であることが挙げられます。
ですが今回は、正統派と異なる教義については一旦置き、イエス・キリストの教会についてお話しします。
祈りのススメ
この記事内にはわたしたちが所属する末日聖徒イエス・キリスト教会の聖典である新約、旧約の聖書とモルモン書、教義と聖約、高価な真珠の中から聖句を引用しています。
また総大会と呼ばれる教会指導者たちの勧告などのお話からも引用する場合があります。
クリスチャンである方もそうでない方も、聖句を読むとき、以下のことに注意を払っていただけましたら幸いです。
『見よ、わたしはあなたがたに勧めたい。あなたがたにとってこの記録を読むことが、神の知恵にかなうようであれば、あなたがたはこれを読むときに、アダムが造られてからあなたがたがこれを受けるときまで、主が人の子らにどれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし、それを心の中で深く考えてほしい。
また、この記録を受ける時、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。
そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。』
(『モロナイ書』第10章3節〜5節)
神の王国とは何か
聖書には『神の国』『神の王国』といった呼び名がいくつも登場します。
そもそもこれが一体何なのかを紐解いてみましょう。
まず旧約聖書からの引用です。
『「それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。
一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と、青銅と、粘土と、銀と、金とを打ち砕いたのを、あなたが見られたのはこの事です。大いなる神がこの後に起こるべきことを、王に知らされたのです。その夢はまことであって、この解き明かしは確かです」。』
(『ダニエル書』第2章44、45節)
上に引用したのは、ダニエルという預言者が、当時栄華を誇っていたバビロニアの王ネブカデネザルが見た夢の解き明かしをするシーンの一部です。
『天の神は一つの国を立てられます』とありますが、それに続く『その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って…』というところを読むと、この『国』は多くの国々(国家)と同じように地上に築かれると理解できます。
そして『人手によらずに…』とありますので、人ではなく天の神御自身が主導してこの国を打ち立てることになります。
そしてその国は『いつまでも滅びることがな』いのです。
『天国』という言葉がありますが、この言葉から連想されるのは『天にある国』とか『亡くなった人がいるところ』というイメージではないでしょうか。
新約聖書には『天国』という言葉が使われている箇所があります。
『悔い改めよ、天国は近づいた』
(『マタイによる福音書』第3章2節)
上に挙げたのはバプテスマのヨハネの言葉ですが、イエスも同じことを言っています。
『この時からイエスは教を宣べ初めて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。』
(『マタイによる福音書』第4章17節)
天国が『近づく』といっても、実際には距離的なことを言っているのではもちろんありません。
これと同様のことを指している聖句があります。
『御国が来ますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。』
(『マタイによる福音書』第6章10節)
この聖句を読むと、『神の御心は天だけではなく、地上にも御国を築くこと』であるとわかります。
言い換えれば、『天にはすでに王国がある』ということです。
つまり、神の王国は天と地上に築かれることになるわけです。
新約聖書にはこれら『神の国』という意味の言葉が数多く記されており、旧約聖書にはほとんど記されていません。
ひとつ理解できるのは、『神の王国』は旧約の時代には地上に築かれていなかったということです。
なぜでしょうか。
答えは、イエスが地上に来られたことで弟子達に完全な福音を教え、彼の贖罪によって人の不死不滅が可能になったためです。
旧約の時代の預言者たちは主なる神が肉体に宿って地上に来られることを知っており、心待ちにしていました。
なぜなら彼の犠牲によって人の救いがなされるためです。
贖罪は神との和解を可能にします。
贖罪がなければ、人は神の元へ帰ることができませんでした。
人が罪のあるままで救いに至ることは不可能だからです。
王国の王
神の王国における王とは、主を指します。
イエスには多くの呼び名が存在しますが、その中に『王』というものがあります。
『主はとこしえに王でいらせられる。もろもろの国民は滅びて主の国から跡を断つでしょう。』
(『詩篇』第10篇16節)
『ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。』
(『イザヤ書』第9章6、7節)
新約の時代にも同様の預言が与えられました。
『すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。』
(『ルカによる福音書』第1章30節〜33節)
回復された神権
新約聖書の中に、興味深い記述があります。
それは、イエスが弟子にあるものを授けるというシーンです。
『わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。』
(『マタイによる福音書』第16章19節)
ここで主からシモン・ペテロに授けられた『鍵』とは、『神権の鍵』のことです。
鍵とは、長の職に伴う権利です。すなわち、地上において神権を管理し、統治し、治めるために神から人に授けられる権威です。
長の職に召された神権者は、自分を管理する権能を持つ人から鍵を受けます。
シモン・ペテロは主から教会の長に召されました。そしてこの時、彼に神権の鍵が渡されたのです。
ペテロは死にましたが、復活を果たし、引き続き主のもとで働いています。
神権の鍵を授けられたペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人は末日に地上を訪れ、末日聖徒イエス・キリスト教会の初代大管長であるジョセフ・スミスと教会の二番目の長老であるオリバー・カウドリに大神権と神権の鍵を授けました。
『また、わたしがあなたがたのもとに遣わして、あなたがたを聖任し、あなたがたを使徒およびわたしの名の特別な証人として確認し、またあなたがたの務めの鍵と、わたしが彼らに明らかにした事柄と同じ事柄の鍵を持つことをあなたがたに確認したペテロとヤコブとヨハネ、
すなわち、終わりの時代のために、また天にあるものと地にあるものの全てを一つに集める時満ちる時代のために、わたしの王国の鍵と福音の神権時代とをわたしがゆだねた三人とともに、』
(『教義と聖約』第27章12、13節)
上で引用したダニエル書と同じ啓示が末日にも与えられました。
『神の王国の鍵は地上の人にゆだねられており、あたかも人手によらずに山から切り出された石が全地に満ちるまで転がり進むように、そこから福音は地の果てまで転がり進むであろう。』
(『教義と聖約』第65章2節)
回復された教会
王国の鍵=神権の鍵ということは示されましたが、ジョセフ・スミスは生涯をかけてひとつの『国』を築き上げたわけではありませんでした。
生前アメリカ合衆国大統領選に出馬したことはあったそうですが、願いは果たせませんでした。
教会が回復された当時、『モルモン』と蔑まれていた教会員は大変な迫害に遭っていました。
暮らしていた土地を何度も追い出され、数多くの人が殺されました。
そんな中、ジョセフ・スミスが築いたのはひとつの教会です。
回復された完全な福音を基とした、イエス・キリストの教会です。
この教会こそ、預言者ダニエルが解き明かした『ひとつの国』のことです。
『教義と聖約』には、このことが示されています。
『心を高めて喜びなさい。あなたがたに王国、言い換えれば、教会の鍵が授けられたからである。まことにそのとおりである。アーメン。』
(『教義と聖約』第42章69節)
お分かりでしょうか。
地上に作られる王国とは、イエス・キリストの教会を指しています。
『教義と聖約』には、主が御自分の教会を築き上げることが何度も記されています。
『この終わりの時におけるキリストの教会の起こり。それは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストが肉体を取って来られてから千八百三十年であって、第四の月、四月と呼ばれる月の第六日に、神の御心と命令により、わが国の法律にかなって正式に組織、設立された。』
(『教義と聖約』第20章1節)
『あなたは、わたしのぶどう園で働き、わたしの教会を築き上げ、シオンをもたらして、シオンがもろもろの丘の上で喜び、栄えるようにするために召されている。』
(『教義と聖約』第39章13節)
教会の名称
ジョセフ・スミスが教会を築き上げた当時、教会には正式な名称はありませんでした。
教会を命名したのは主御自身です。
1838年4月26日、ジョセフ・スミスを通して与えられた啓示を引用します。
『また、シオンにおけるわたしの教会の高等評議会(これからこのように呼ばれる)に属するわたしの忠実な僕たち、および全世界に散在しているわたしの末日聖徒イエス・キリスト教会のすべての長老たちと人々に言う。
わたしの教会は、終わりの時にこのように、すなわち末日聖徒イエス・キリスト教会と呼ばれなければならない。』
(『教義と聖約』第115章3、4節)
主が御自身の教会の命名を行うことは、古代のアメリカ大陸に住んでいた民にも明かされていました。
復活したイエスの訪れを受けた民は、主の教会の条件について教えを受けます。
『そして、彼らがイエスの名によって御父に祈っていると、イエスが再び彼らに御自身を現された。イエスは来て彼らの中に立つと、「あなたがたはわたしから何を与えられたいのか」と彼らに言われた。
そこで彼らはイエスに、「主よ、この教会をどのような名で呼ぶべきか、私たちにお教えいただきたいと存じます。この件について民の中に論争がございますから」と言った。
すると主は、彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言う。民がこのことについてつぶやき、論じ合うのはなぜか。
彼らは、『キリストの名を受けなければならない』という聖文を読んだことがないのか。キリストとはわたしの名である。終わりの日にあなたがたは、この名によって呼ばれるのである。
わたしの名を受け、最後まで耐え忍ぶ者は、終わりの日に救われるであろう。
だから、あなたがたが行うことは何事でも、わたしの名によって行いなさい。あなたがたは教会をわたしの名で呼びなさい。また、父がわたしのために教会を祝福してくださるように、わたしの名によって父に呼び求めなさい。
わたしの名で呼ばれなければ、どうしてわたしの教会であろうか。ある教会がモーセの名で呼ばれれば、それはモーセの教会である。あるいは、ある人の名で呼ばれれば、それはその人の教会である。しかし、わたしの名で呼ばれ、人々がわたしの福音の上に築かれていれば、それはわたしの教会である。』
(『ニーファイ第三書』第27章2節〜8節)
さいごに
神の王国はすでに地上に築かれています。
わたしたちはそこで、天の王国で永遠に住むための備えをしなければなりません。
信仰をもって日々生活をすることは容易ではありません。
毎日が落胆と悔い改めの繰り返しになることもあります。
それでも人は少しずつ進歩できます。
今回はここまでにしましょう。
聴いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
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