導入
みなさんこんばんは、かいです!
先日友人から、『主の再臨に至るまでのいくつかのしるしと出来事』についての動画を日本語版でYouTubeにアップしたので、ぜひ観て意見を聞かせてほしい、という内容の連絡がありました。
かなり長い動画でしたので、現在に至るまで何度も試聴をしていますが、とても興味深い内容でした。
今回は『しるし』ということについてお話しします。
友人は『主の再臨に至るまでのしるし』ということについてプレゼンテーションをしていますが、ここではそれに限らず、広くしるしについて紹介します。
今回も聖典、教会の出版物を参照しています。
しるしとは何か
まず私たちの教会で使われる『しるし』とは、人々が何かの証拠あるいは証明として理解する出来事や経験を意味しています。
しるしと言う言葉自体は通常、神から与えられる奇跡的な現れを指します。
聖徒たちは御霊の賜物を求めるべきですが、好奇心を満足させたり、信仰の支えとしたりするためにしるしを求めてはならない、とされています。
主は、信じる者にとってふさわしいと判断されたときに、しるしを与えられるからです。
『まことに、この知らせはこの地から全世界に、また地の最も遠いところまででていくであろう。福音はすべての造られたものに宣べ伝えられ、信じる者には数々のしるしが伴うであろう。
(『教義と聖約』第58章64節)
古代から求められたしるし
旧約の時代から神を信じようとせず、預言者の言葉を受け入れない人々は、彼らにしるしを見せるよう求めました。
イエスが地上で務めに携わっていたときも、律法学者やパリサイ人たちはイエスに対してしるしを見せるように求めたと記されています。
『そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスに向かって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。
すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。』
(『マタイによる福音書』第12章38、39節)
モルモン書の中にも、邪悪な人々が預言者に逆らい、しるしを求めたことが記されています。
『そこで、彼(脚注:シーレムという人物を指す。キリストを否定し、預言者ヤコブと議論した。)はわたしに、「それでは、そのように多くのことをあなたに教える聖霊のその力によって、わたしにしるしを見せてください」と言った。
それで、わたしは彼に言った。「わたしは何者なので、あなたがすでに真実であると知っていることについて、しるしをあなたに見せるために神を試みることができるでしょうか。あなたはしるしを見ても否定するでしょう。あなたは悪魔に従う者だからです。しかしながら、わたしの思いが行われるのではなく、神があなたを打たれるのであれば、それがすなわち、神が天と地の両方で力を持っておられることと、キリストが将来来られることをあなたに示すしるしとなるでしょう。おお、主よ、私の思いではなく、あなたの御心がおこなわれますように。」
さて、わたしヤコブがこれらの言葉を語り終えると、主の力が彼に下り、彼は地に倒れた。その後、彼は何日もの間、介抱を受ける身となった。
そこで、彼は民に言った。「明日集まってほしい。わたしはもう死ぬ。だから死ぬ前に民に話しておきたい。」
さて、翌日、大勢の人が集まった。すると、シーレムは彼らにはっきり語って、自分がこれまで彼らに教えてきたことを取り消し、キリストと、聖霊の力の実在と、天使の働きを告白した。
また彼は、彼らにはっきりと、自分が悪魔の力によって欺かれていたことを語り、地獄と永遠と永遠の罰についても語った。
また、彼は言った。「わたしは赦されない罪を犯したのではないかと恐れています。神に偽りを言ったからです。また、聖文を信じていると言いながら、キリストを否定したからです。聖文は確かにキリストのことを証しています。わたしはこのように神に偽りを言ったので、わたしの境涯が恐ろしいものになるのではないかと非常に恐れています。しかし、わたしは神に告白します。」
そして、彼はこれらの言葉を語り終えると、何も言えなくなって息絶えた。』
(『ヤコブ書』第7章13節〜20節)
『ところが、コリホルはアルマに、「わたしは神の存在を否定はしないが、神がいるとは信じない。だから、神がいることはあなたたちにはわからないと言っているのだ。しるしを見せてくれなければ、わたしは信じない」と言った。
そこで、アルマは彼に、「あなたにしるしを示そう。あなたはわたしのいう通り物が言えなくなるというのがそれである。わたしは神の御名によって言う。あなたは物が言えなくなり、今後二度と口を利けなくなるであろう」と言った。
アルマがこの言葉を言い終えると、アルマの言葉のように、コリホルは物が言えなくなり、語ることができなくなった。
さて、大さばきつかさはこれを見ると、手を差し伸べてコリホルに書き示し、「あなたは神の力を認めるか。あなたはだれにしるしを示すようにアルマに求めたのか。あなたにしるしを示すために、彼がほかの人々を苦しめることを願ったか。見よ、彼はもうすでにあなたにしるしを示した。それでもなおあなたは反論するか」と告げた。
するとコリホルも、手を差し伸べて書き示し、言った。「わたしは今、話すことができないので、物が言えなくなったことを認めます。また、神の力によるのでなければ、わたしにこのようなことが決して起きないことも、わたしは知っています。また、わたしは神がましますことを前から知っていました。
しかし見よ、悪魔がわたしを欺いたのです。悪魔は天使の姿でわたしに現れて、『この民は皆、未知の神を求めて迷っているので、行って改心させよ』と言いました。また悪魔はわたしに、『神はいない』と言い、わたしが言うべきことも教えてくれました。そこで、わたしは悪魔の言葉を教えてきました。わたしは、悪魔の言葉が肉の思いに快いので、それを教えてきたのです。また、わたしはそれを教えてついに大きな成功を収めたので、自分でもそれが真実だと全く信じるようになりました。このようなわけで、わたしは真理に逆らい、とうとうこの大きなのろいを招いてしまいました。」
さて、コリホルはこのように言うと、そののろいが取り去られるように神に祈ってほしいとアルマに懇願した。
しかし、アルマは彼に、「こののろいがあなたから取り去られると、あなたはまた、この民の心を惑わすようになるであろう。だから、主が望まれるとおりになるがよい」と言った。
そして、そののろいはコリホルから取り去られなかった。そして、彼は追い出され、食べ物を請うて家々を巡るようになった。
一方、コリホルの身に起こったことは、すぐ全地に告げ知らされた。まことに、大さばきつかさが国のすべての人に布告を出し、コリホルの言葉を信じた人々に、同じ裁きを受けることのないように速やかに悔い改めなければならないと告げたのである。
そこで彼らは皆、コリホルの悪事を認め、再び主に帰依するようになった。そして、これによってコリホルに倣った罪悪は後を立った。コリホルは家々を巡り、食べ物を請うて命をつないだ。さて、ニーファイ人から分かれ、ゾーラムという名の男に率いられて自分たちをゾーラム人と呼ぶようになった民があったが、コリホルはその民の中を歩き回っていたときに、見よ、突き倒されて踏みつけられ、とうとう死んでしまった。
このことから、主の道を曲げる者の末路が分かる。また、悪魔は終わりの日には自分の子らを助けようとせず、速やかに地獄に引きずり込むということも、私たちに分かるのである。』
(『アルマ書』第30章48節〜60節)
『まことに、もし天からしるしを見せてくれれば、それが確かなことが分かるから信じようと言う人々が大勢いる。』
(『アルマ書』第32章17節)
しるしが与えられる条件
神はしるしを人々に示されるとき、一つの条件を定めておられることが聖典から読み解けます。
『しるしを求めるものはしるしを見るが、救いには至らない。
まことに、わたしはあなたがたに言う。あなたがたの中にしるしを求める者たちがいる。このような者は、まことに初めからいた。
しかし見よ、信仰はしるしによっては生じないが、信じる者にはしるしが伴う。
まことに、しるしは信仰によって生じる。それらは人の意思によらず、人の欲するままにではなく、神の思いによる。
まことに、しるしは信仰によって生じ、力ある業をもたらす。信仰がなければ、だれも神に喜ばれない。また、神の怒りを受ける者を、神が心から喜ぶことはない。それゆえ、このような者に、神はなんのしるしも示さず、ただ激しく怒って罪の宣告を下すだけである。
それゆえ、あなたがたの中の、信仰のためにしるしと不思議を求めていて、人々を益してわたしの栄光をもたらすためにこれらを求めようとしない者たちを、主なるわたしは喜ばない。』
(『教義と聖約』第63章7節〜12節)
主は福音を宣べ伝えるようにと御命じになった初期の聖徒たちに、限定された奇跡を起こすことができると教えられましたが、それ以外の奇跡を求めることは禁じられました。
『わたしがあなたがたに命じないかぎり、悪霊を追い出し、病人を癒し、毒蛇や毒物の毒を消すこと以外の奇跡を求めてはならない。
また、聖文が成就するために、これらのことを望む者から求められないかぎり、あなたがたはこれを行なってはならない。あなたがたは記されているとおりに行わなければならないからである。』
(『教義と聖約』第24章13、14節)
これから起こるしるし、起こされるしるし
冒頭で紹介しましたように、わたしの友人は、主の再臨に先立ってこれから起こるであろうしるしについて研究をしています。
中には、すでに起こったと思われるものもありますが、今後起こるであろうと予想されているものもあります。
中には、神の御心によって定められているしるしの他、サタンが多くの人を惑わすために起こすしるしもあります。
『「わたしは言っておく。あなたがたは、『主の御名によって、天の雲の中をすべての聖なる天使たちとともに来られる方に、祝福あれ』と言うときまで、今から後わたしに会うことも、わたしが預言者たちによって書き記された者であるのを知ることもないであろう。」そのとき、イエスの弟子たちは、イエスが栄光を受けて神の右で冠を受けられた後、再び地上に来られると言うことを理解した。
そして、イエスが神殿から出て行かれると、弟子たちがイエスの言葉を聞こうとして近寄って来て言った。「先生、あなたは、『これらは崩され、荒れ果てるに任されるであろう』と言われましたが、この神殿の建物についてわたしたちにお示しください。」
そこで、イエスは彼らに向かって言われた。「あなたがたは、これらすべてのものを見て、それが分からないのか。よく言っておく。この神殿では、その石が一つでも崩されずに他の石の上に残ることはないであろう。」
イエスは彼らを後に残し、オリブ山に登られた。そして、オリブ山で座っておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「どうぞお話しください。あなたが神殿の滅亡とユダヤ人について言われたこれらのことは、いつ起こるのでしょうか。あなたがおいでになる時や、世の終わり、すなわち、世の終わりである悪人の滅亡には、どのようなしるしがありますか。」
そこげ、イエスは答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名乗って現れ、『わたしがキリストだ』と言って、多くの人を惑わすであろう。
そのとき、人々はあなたがたを苦しみに遭わせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のためにすべての民に憎まれるであろう。
そのとき、多くの者がつまずき、また互いに裏切り、憎み合うであろう。
また、多くの偽預言者が起こって、多くの人を惑わすであろう。
また、不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、確固としていて打ち負かされない者は救われる。
見よ、わたしはユダヤ人について、あなたがたにこれらのことを語った。さらにまた、エルサレムに及ぶそれらの日の艱難の後、誰かがあなたがたに、『見よ、ここにキリストがいる』、また『あそこにいる』と言っても、信じてはならない。
それらの日には、偽キリストたちや偽預言者たちも起こって、大きなしるしと不思議を示し、できれば、聖約による選民である真の選民をも惑わそうとするであろう。』
(『ジョセフ・スミス訳マタイ第1章1節〜11節、21節、22節)
ここに記されているように、サタンもまた、ある条件の下でしるしを示す力を持っています。
だからこそわたしたちは、しるしを正しく理解する必要があります。
さいごに
さまざまな時代を経て、神を信じようとする人も、また神の存在を否定する人も、その理由は異なりますがしるしを求めてきました。
ですが、しるしを与えるのは神であり、その御心にかなったときにのみ与えてこられました。
今後起こるであろう艱難ののち、サタンとその使いたちは、多くの人々を惑わし、聖約による選民、すなわち完全なる福音を受け入れキリストに帰依した者たちをも惑わすほどの大いなるしるしを起こすでしょう。
そういった時こそ、わたしたちは聖霊に頼り、どのしるしが神から与えられた本物なのかを見極めることができるようにしなければなりません。
冒頭で紹介した、わたしの友人がアップした動画へのリンクを貼り付けておきます。
興味がおありの方はご視聴ください。
ただ、この動画の内容も彼が研究の結果まとめたものであり、これが100%確実なしるしだというわけではないことをご理解ください。
本当のしるしは信仰を持つ者に伴います。
今回はここまでにしましょう。
聴いてくださってありがとうございました。
またお会いしましょう。
おやすみなさい。
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